Top Stories Diary Index Next Before

2019.03.26

まもなく元号が変わる。誰の生活にとってもさほど好影響をもたらすものでもないはずだが、どうも世間は新しい元号の登場にウキウキしているし、元号を否定すると天皇制を否定するような感じになって非国民と後ろ指を指されそうだから、内心ではメンドクセー話だと思いながら、へえ~、みたいに話を合わせている。
確かに、ある時代を括る、という効果はあるのかもしれない。今や大昔になってしまった「昭和」の時代は「平成」時代とは明らかに違うわけで、その違いをふと思い浮かべるには、1900年代後半と世紀末から2000年代初頭にかけて、という区分ではピンとこない。その意味で元号は有用な時代区分だと思う。
だが日常生活では面倒なことだらけ。昭和〇〇年から何年経った? とか、平成〇〇年生まれは何歳? ってことを計算するのに、頭の中でイチイチ西暦に置き換えて計算するのは面倒だ。そもそも元号と西暦を合致させること自体が難しい。元号を跨ぐ経年の変化量を把握するなんてことはもはやお手上げで、大抵は途中で考えるのを止めてしまう。このことが昭和世代と平成世代の分断に影響している? なんてことは言い過ぎだけど(笑)

この世界に唯一の元号制度を後生大事に抱え込んでいるのはいかにもガラパゴス島の住人らしい。グローバルスタンダードを標榜するなら真っ先に止めれば良さそうなものだが、誰もそう主張しない。なんとなくアンタッチャブルな雰囲気もあるし。お前は日本人なのか? 日本の歴史伝統を守る気はないのか! って叱られそう。

だがお言葉ですが、そもそも日本人って伝統を大事にする国民なんですかねえ? 家族制度やお正月の風習なんてものはきれいさっぱり世の中から絶えて久しい。声高に主張している人たちのいったい何人がお正月には紋付き袴姿でお屠蘇をいただき、あけましておめでとうございます、なんて挨拶を家族間で交わしているだろう。そんなのはもはや向田邦子ドラマの中だけの風俗風習で、平成生まれの大半は見たことのない景色だろうに。そんな中で元号だけ守るっていうのもなんだかなあという気分になる。ひょっとすると、元号が最後の砦ってこと?

まっ、そんなこと、どっちでもいいこと。まもなく二世代前の人間になる身にすれば、幼い頃、稀に言葉を交わすことのあった明治男たちの気持ちがちょっとだけわかった、だけのことかな。