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2019.06.18

ラジオ番組の大半はタイムフリーで聞くようになった。放送開始から10分遅れると躊躇なくタイムフリーで最初から聞く。
音楽は完全に、動画も徐々にストリーミングサービスを利用する人が増えた。ボク自身も今や曲や映画をわざわざCDやDVDで購入しようという意欲は完全になくなった。

ところが、便利になれば便利になるほど、いつでも手に入る、あとでもいいや、という気持ちになって、気づくと忘れている。
そのうち、また新たな刺激が現れて、いつのまにか関心はそっちに向いている。古いもののことはあっという間に忘れる。忘れて思い出しもしなくなる。
二週間前、確かにあったはずの興味が、あれ? そんなこと思ってた? というほど気にも留めなくなる。

環境は人を変える。物にも物事にも、よほどのことがなければ拘泥しなくなった。過ぎ去っても、どーせまた次がある、次々現れる、漠然とそんな気持ちになっている。

これは、正しいことなのだろうか? すべてが目の前を通り過ぎるだけのままにしておいて、本当にいいのだろうか?

ふと、そんなことを思った。気づけば何もない。大切なものが何もない。

先々週歩いた時には麦秋の景色が広がっていた場所が、今はすっかり水田に変わっている。

そう言えば先週、ここらあたりはちょうど田植えの時期で、おかしな田植え機を見かけたんだった。その田植え機は、人が駅に向かう時の歩速よりもっと速く、泥水の中をバチャバチャ音を立てて進み、苗を植え付ける作業がいかにも適当。ちゃっちゃと済ませて帰ろーぜ、みたいな動きだったのだ。それがあまりに滑稽で動画に残そうかと思ったほど。
田植え機は骨格が華奢で、そうでなくてもガタピシ音を立てて進むポンコツロボット風な相貌だから、落ち着いた動きをしないと滑稽になる。
慌てた田植え機に植え付けられた苗はちゃんと生育するのかなぁ、そんな余計な心配をしちゃったよ。
田植えは、のろのろ歩く速度くらいが安心感があっていいように思ったけど、これも時短? 働き方改革?(笑)