2019.07.01
「お手紙」を書いている。ラブレターでもなく、ビジネス書簡でもなく、ちょっとお詫び込みのお手紙を書いている。出すかどうかはわからないが、とにかく書いている。人の気持ちは結局のところわからない。一方の当事者から話を聞いて、それが沈着冷静客観的なものであったとしても、他方にすればまるで異なる光景が広がっていて、その沈着冷静客観な態度こそ許し難い不実に映ることだってある。そんな時、きっと両者は解り得ない。どこまで話し合ったところでいつか必ず破綻する関係なら、流れに身を任せ、なるようになってしまった方がいいのかもしれない。自分自身のことなら躊躇なくそうする。
だが、逡巡する人の気持ちも解るような年齢になってしまった。両方の話が両方の理屈として解るようになってしまった。どちらかを一刀両断の下に斬り捨てるのも、法的正当性を持ち出して決着させてしまうのもやはり違うんだろうとつくづく思う。人の時間も人の関係も、連続するアナログ的進展の結果であって、プツンプツンと途切れているわけではないのだ。
会って話をすれば拗れる。電話で話せば激高する。メールは似合わない、ラインなどもってのほか。
だから、お手紙を書いている。
でも…… ワープロの横書きじゃ意味ないのかな……
あ~~~~~~、めんどくせーーーーー‼