ミエちゃん(後編)

 それからは、有馬と磯原が告白する本人のボクを差し置いて、あれよあれよという間に段取りを組んでしまった。

「じゃあさあ神原くん、明日、私が学校から帰ってミエちゃんを公園に呼び出すから、そこでコクりなよ」
 磯原はニヤニヤしながら思いっきり楽しそうだ。
「えっ、明日⁉」
「当たり前だろ。明後日にする必要なんかねーだろ?」
 有馬はすっかりこの場を取り仕切るボスの気分だ。
「いきなり言われても…… 彼女のことは何にも知らないしさぁ」
 大人のお見合いも、嫌がる本人をよそに、周囲のお節介ばばあやじじいが段取りを決めるものなのだろうか?
「山下も呼ぶかな、アハハ」
「関係ねーだろ、山下は! そもそも磯原だって関係ねーし」
「あれ? じゃあ、いいの? 自分で呼び出すわけ?」
「あー、そうだそうだ、そうしろ、磯原も見物してろ」
 そんなことできるわけがない。いくら同級生でも、知らない男子からいきなり電話がかかってきて、はいはいどーもどーも、えぇえぇ、お付き合いしますとも、なーんてことあるはずがない。

「それは、ムリだろ……」
「じゃあどーすんだよ! 磯原に頼むのか、自分でやるのか、どっちなんだよお‼ はっきりしろよ、このクソがぁ!」
 こいつの、クソが! は癖だろうが、クソムカつく‼
 だが逆らえない。こいつの腕力には敵わない。
「…… わかったよ。磯原、呼んで来いよ」
「おめえ、態度デカくね? 磯原さん、お願いします、だろ?」
 任侠はこういう筋の話にはやたらうるさい。
「…… 磯原さん、よろしくお願いします」
「ハハハ、いいのいいの、任せておいて! ちゃんと呼び出してあげるから。それに、帰り道で神原クンのこともピーアールしとくから」
「ピーアール?」
「だってさ、ミエちゃんってプロレスファンだからさ、このままだと神原クン可能性低いと思うんだよね」
「…… そういう子なの?」
 ちょっと想像が違っていた。ボクがミエちゃんに抱いていたイメージは、窓辺でピアノを奏でている、色白でちょっと病弱な感じの子だったのに……
 どうやらそれは違うらしい。
「そうだよ。高校を卒業したお兄ちゃんがふたりいて、結構お兄ちゃんたちと暴れてたよ、小学校の頃は」
(…… 全然イメージと違うじゃん)
「アハハハハ、中学生になってからおとなしくなったけどね。
 そうそう、小学校の低学年の時に、ミエちゃん学校でおもらししたことがあってさあ! 備え付けのパンツに履き替えて、デケ~って言いながらパンツをずりずり引き上げてたこともあったわ!」
 磯原は面白そうにゲラゲラ笑った。

 そうか…… そういう子だから、結構可愛いのに誰も手出ししなかったのか……
 ボクの中でミエちゃんに対するイメージは一旦ガラガラと音を立てて崩れ去った。

 しかし、ボクも男だ! そんなことで彼女を嫌うなんてことはあり得ない。むしろ、そんなことがなんだ! という義侠心が湧き起こる。天邪鬼とはこういうもので、人が悪いと言えば、むしろこの上ない善良なものに見えたりするのは通常だ。
 そんなこともあって、ボクは急にミエちゃんのことを好きになってやろうという気になった。好きになったわけではなく、好きになってやろうと決めた。


 翌日、ボクと有馬と山下は、三人揃って七小校区の公園に出かけた。そこはローカル線の線路わきにあって、周囲には比較的大きな団地がある。ミエちゃんと磯原はその団地に住んでいるようだった。
 有馬と山下は木切れと小石を見つけてきてバッティングの真似事を始めた。ちゃんと団地からの入り口近くにいて、磯原がミエちゃんを連れてくるのがいち早くわかる場所にポジショニングしている。なかなか小狡い奴らだ。
 ボクは一番奥のブランコに座っている。ミエちゃんが来たらブランコに座らせて、そこで告白しようと頭の中でシミュレーションを重ねている。

 一時間も待っただろうか。山下が突然大声を出す。
「来たぞ‼」
(……ちゃうねん、そういう感じじゃないねん、ったく女心のわかってないクソガキめ)
 毬栗頭のボクはそう思う。
(こいつら、マジ邪魔!)
 それでも、ミエちゃんは磯原に促されながらやってくる。ただ、どうも足が前に進まないようで、公園の入り口でもたもたしている。そりゃそうだ。学校でも一、二を争う悪ガキと、口をきいたこともないボクが公園で待っているのだ。足を踏み入れたくないのもわかる。
 どうにも打つ手のなくなった磯原がつかつかとボクのところまでやってくる。
「言っといたから。ミエちゃん、OKと思うな。あとは自分で言って」
 そう言いながら、磯原はちょっとつまらなそうに有馬と山下の方に駆け寄った。
 三人はボクとミエちゃんを交互にみている。やりにくいったらありゃしない。なんで、こいつらの前でコクらなきゃなんないんだ?
 ミエちゃんは公園の入り口で、まだもじもじしている。ボクは勇気を振り絞って彼女の方へ歩き始めた。
「いよっ! 熱いね、トシちゃん!」
(死ね、有馬!)
 ボクは構わずミエちゃんにずんずん近寄る。段々彼女の顔がはっきり見えてくる。
(お~ この顔この顔! やっぱかわいいじゃん)
 ボクは思ってた通りのミエちゃんの顔を見て、段々有頂天になる。彼女の目元にはちょっとそばかすがあって、唇をぎゅっという感じで結んでいるのだが、この顔が好きだった。
「えっと…… 」
 なんて言えばいいのだろう…… 最初の言葉が見つからない。
「磯原から聞いてる?」
 磯原がいてよかった……
「…… 」
 ミエちゃんは無言でコクリと頷いた。
「えっと…… そういうこと」
 ボクはホントに人生最大の勇気を振り絞って、ミエちゃんの顔をじっと見つめた。女の子の顔をじっと見つめるなんて、普段ならとてもできない。エッチなことを考えていることがバレそうで見つめられない。
 でも、ミエちゃんも、ちょっとボクの方を見て、小さい声で呟いた。
「うん……」

 あの時、ボクは「うん」以外の言葉を必要としていただろうか? いや、それだけでもう十分だった。

 付き合ってください、いいですよ、そんな教科書通りの言葉など、ひと言も言えなかったし聞けなかった。でも、目の前の、涼しげな眼もとの、ちょっとだけそばかすがあって、薄い唇をギュッと噛みしめた、色白で、サラサラした髪の毛のミエちゃんは、確かに、間違いなく、ボクに対してOKの意思表示をしてくれた。それは勘違いでも何でもなく、現実のことだと思った。

「ブランコ…… 座る?」
 片言の日本語でも十分伝わるのだ。愛さえあれば、言葉など必要ない。
「うん……」
 少し落ち着いてきた。落ち着いてくれば、ボクは意外に饒舌だ。
「ボクね、ミエちゃんのこと、一年生の頃から気になってたんだよ」
 それは事実だ。だが、そう毎日毎日ミエちゃんのことを考えていたわけでもない。でもそこのところはこの際割愛しておこう。
「うん……」
 ミエちゃんは今日は「うん」しか言わない日なのかな?
「四組だったよね? 黒木とかいたでしょ?」
「うん…… 黒木君、いたよ。今も同じクラスだよ」
「そうか…… いや、黒木とは小学校の時に友達だったんだよ。あいつの家によく遊びに行ったよ。学校の近くだったから」
「へぇ、そうなんだ」
「うん、黒木って柔道部だろ? あいつ、小学校の頃から身体がデカかったんだよ」
「へぇー、凄いんだね」
 なんで黒木の話をしてるんだろ? アホか、と思いつつ、必死に他の話題を探すが、小学校も別々だし、クラスが同じになったこともない。ミエちゃんと共通する話題など、ない。
「健太郎っているだろ? 六組だから」
「うん、頭いいよね、木田君」
「あいつは、幼稚園からの友達だよ。あいつにこんな大きい水晶やったんだよ。じいちゃんが山で見つけてきたやつ」
 何の自慢だよ…… 
「ふ~ん……」
 明らかに興味を惹いてない。ダメだこりゃ……
「…… 」
「…… 」
 そのまま会話は途切れた。それに気づいたかどうか知らないが、有馬たちがブランコに近づいてくる。

「オレたちもう帰るぞ、じゃあな」
 所詮他人の恋路だ。ガキどもがいつまでも関心を持っていられるはずがない。
「なんだよ…… じゃあ、オレも帰るよ」
 磯原とミエちゃんが唖然とした顔でボクを見る。
「じゃあ、ミエちゃん、またね」
「…… また」
 磯原はボクとミエちゃんを交互に眺める。有馬は先に歩き出す。山下はもう公園を出てしまっている。
 ボクはちょっと後ろ髪をひかれたが、有馬の後を追った。

 帰り道、有馬がぽつりと呟いた。
「案外、つまんねぇな」
 ボクは何と言っていいかわからなかった。つまらないと言えばつまらない。でも、こいつらといるよりは、たとえ交わす会話がなかったとしてもミエちゃんと並んでいる方が性に合っている気がした。男同士なら無言で時間を潰すなんてことは考えられなかった。無言になるくらいなら、別々のことをする方が自然だった。
 だけど、女子とは無言で、たとえ一緒にすることなど何もなくても、一緒に並んでいるだけで意味があるように思った。傍にいて、手を伸ばすところに相手がいるだけで、なんだかドキドキするし、このままずっと一緒にるだけでいいな、という気になる。何がどう違うか、それはわからない。でも、確かに違うのだ。

「お前、あいつと付き合うの?」
「ああ、そのつもりだけど?」
「ふーーーん、まぁいいや、オレには関係ねーし。それより、ちゃんと杏ちゃんには言ってくれよな」
「はぁ? オレが言うの?」
「そりゃそうだろ、お前のはオレが言ってやったんだからな」
「…… 」
 杏ちゃんの話はまたどこかで話す機会がある気がする。

 それより、ミエちゃんとのことだ。
 中学生で付き合うっていうのはどういうことを言うんだろう? 大人じゃないからエッチなことなどする勇気はない。キスくらいはする子たちもいるんだろうか? だが、ボクとミエちゃんには想像もできない。だって、手もつないでないから。
 ただ、それからは毎日のように公園のブランコに座って暗くなるまで話をした。大抵はクラスメイトのこと。ボクは全くプロレスに関心はなかったが、一応聞いてみた。すると、プロレス好きは周囲の勝手な思い込みで、彼女の兄貴ふたりが大好きなんだと必死になって言い訳していた。それもなんとなくカワイイ感じだった。
 ミエちゃんはバレンタインデーに手作りのチョコレートをくれた。外箱が大きすぎて肝心のチョコは中で落ち着きなく動き回ったせいか、所々がへんてこりんに欠けたりしていたけど、ボクは生まれて初めて女の子にもらったチョコだったから、言葉にできないほど嬉しかった。公園で全部食べて、空き箱とリボンはミエちゃんが持って帰った。ボクが持って帰るべきだったかな?

 水族館デートもした。お昼になって何か食べようよといってもミエちゃんは恥ずかしがって正面に座らない。横並びじゃないと嫌だという。確かに、ボクも恥ずかしかったので、窓側のカウンター席で並んでアイスだけ食べた。夕方帰る頃にはふたりともグーグーお腹が鳴ったけど、ミエちゃんはそれも恥ずかしそうだった。

 だけど、高校が別々になってしまって、いつの間にか会うこともなくなった。


 それでも、今思い返すと、ボクの知っている女性の中で、彼女がダントツ一番可愛かった。一緒に行った水族館は、今は別の場所に移転してしまったけれど、あの日の青空は忘れていない。それは嘘じゃない。

 前澤三枝子。一生忘れないと思う。




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