ミエちゃん(前編)

 最初に付き合った女の子は誰だ? とか、
 最初のガールフレンドは誰だ?

 そう訊かれたら、ボクはやっぱりミエちゃんの名前を挙げると思う。
 付き合うとか、ガールフレンドの定義をボクは知らないし、ミエちゃんとはキスもしてなきゃ当然エッチもしてないから、大人の定義では付き合ったことにならないのかもしれないが、それでもやっぱりボクにとって彼女が最初のガールフレンドであることに間違いはないと思う。なぜなら、

「好きです、付き合ってください」

 そういうアプローチをしたのは彼女が最初で、はい、という返事をドキドキしながら待ったのも、彼女が最初だからだ。

 だが告白をするまで、ボクたちはほとんど接点がない。クラスメイトになったこともない。部活も違う。それどころか、口をきいたこともなければ、彼女の話し声すら聞いたことがない。隣のクラスに、色白で、目元がシュッとしていて、ボーイッシュな髪形の子がいるな、これまで出会ったことのない可憐な少女だな、と思っていたものの、あのきっかけがなければ、きっとそのまま忘れ去った子だったはずだ。

 そう…… あのきっかけ。あのきっかけでボクは彼女に告白することになるのだが、それは今思い出しても実にくだらないことで、ミエちゃんが聞いたらきっと怒り出すんじゃないか、と思うほどだ。本当はこのまま秘密にしておきたいくらいなんだけど……

 ◇ ◇ ◇

 中学三年の十二月というと、今どきの生徒なら受験前でピリピリする時期だろうが、当時ボクの住んでいた瀬戸内の小さな海辺の町では、受験受験と大騒ぎする大人も教師もおらず、形ばかりの進路指導で、キミは大体こんなところだね、と言われて全員の行き先が決まる、そんな時期だった。
 その決められたコースを飛び出そうとか、無理をしてでも進学校へ行こうとか、そんな無駄な野望を抱く者など皆無だったから、残り数か月の中学時代に、どんな思い出を残そうか、誰もがそんなことを考えている時期でもあったような気がする。

 特に、大の仲良しの有馬や山下はそれぞれ、板前、大工とガテンな人生を選択済みだったから受験もない。その頃は三人集まると中学生最後の思い出が欲しい、ガールフレンドが欲しい、なんて話題に終始した。

 中でも有馬は、卒業と同時に大阪の有名な割烹店で修行することが決まっていたから、この町を遠く離れる前に、ずっと前から好きだったきょうちゃんを口説きたい、何としてでも彼女にしたいという願望が強く、放課後集まると、どうすれば彼女を口説けるか、その方法をあれこれ相談する毎日だった。

 ボクは決して恋愛の達人でも何でもない。ただ、有馬に言わせると国語の音読が上手いからきっと口説くのもうまいだろ? と言われて、彼の相談に乗っている。何の合理的根拠もないが、ボクも親友に頼まれれば嫌とは言えず、それっぽい本を読み漁り、女の子がコロっとやられてしまうシチュエーションやフレーズはどんなものか考える日が続いた。

 毎日集まってはあれこれアイデアを出すが、有馬は肝心なところで勇気がない。剃り込みを入れたやんちゃな外見に似合わず小心者だ。
 実は彼の家ってのは、ポールモーリア全集がずらりと並んでいて、綺麗なお母さんが紅茶をいれてくれるような家庭だったから、その頃には、有馬が本当はおぼっちゃまなこともわかっていた。しかも、彼は母親をママと呼んでいるという衝撃の事実すら掴んでいたのだった。
 だから、ボクはこの強面の男をどこかで軽んじていて、毎日アイデア出してるんだし、そろそろ実行しろよ、くらいの蔑んだオーラを出していたかもしれない。

 そんなある日のこと、ボクはとうとう不用意に虎の尾を踏んでしまったらしく、やんちゃな彼は激怒してボクの胸倉を掴みこう凄んだ。

「そんなに言うんならよぉ、おめ~、見本見せろや!」

 ガテンだけあって、見本も手本も区別がない。だが、あまりに突然怒り出すからびっくりする。だって、ボクは色男でチカラはないし、二年生の時に重病?で部活もやめてるから、体力も落ちている。空手やらヌンチャクやら木刀やらで武装した有馬に敵う訳がない。

「な、なんだよ…… 急に怒るなよ。そろそろ告白したら、って言っただけじゃんかよ……」
 平謝りするのも恥ずかしいから、ボクは心臓が飛び出しそうなほどビビってはいるが、そう反論した。
「だからよぉ、おめぇーが先にやってみろ、って言ってんだよ、このクソが!」
 怖い…… 有馬が本気になるとそのへんのやーさん並みに怖い。
「わっ、わかったよ…… 杏ちゃんに言えばいいんだろ?」
「おめぇー、なめてんのかあ‼ あいつ口説いてどーすんだよ! ボケが!」
 ちびる…… もう限界だ…… ちびるからやめてくれ……
「わ、わ、わ、わかった…… 誰に言えばいい?」
 有馬の手が緩む。ニヤリと笑う有馬…… 極道はこれだから嫌いだ……
「誰なんだよ、ん? トシちゃん。誰なんだよ、教えろよ」
 般若の面のような有馬の顔がどう変化したか、ここでお見せしたいくらいだ。彼は実に硬軟ないまぜにして人を吊るし上げる。カツアゲの実績がものを言っているに違いない。
「誰って言われても…… 誰かなぁ」
 これは正直な感想だ。その時、ボクはクラスの女子を思い出して、どいつもこいつもイマイチだなぁなどと思っていたのだ。
「いるだろ? ひとりぐらい?」
 有馬の関心はボクが誰を好きかに完全に移ってしまい、多少のことでは誤魔化せそうになくなった。

 しかし、中学三年の男子というものは、そう四六時中女子のことを考えている生き物でもない。女体には明確に興味があるものの、だからといって同級生の女子に特別な興味を抱き続けることもない。どちらかと言えば仲の良い男子とバカ話をしている方が楽しいし、気も楽だ。女子は扱いずらい、厄介なものという感覚が目覚める時期なのかもしれない。だから、誰を好きか? なんてこと、瞬間的には思いつかないものだ。
「じゃあ、三年一組から順番に思い出してみろよ」
 ボクの思案顔を見て有馬がなかなか具体的な提案をしてくる。そうか、クラスが一緒の子に限定しなくてもいいのか、ボクもようやくそれに気付く。
 そのうち、有馬が適当に名前を挙げ始める。クロちゃんや恵美ちゃん、あさみやみゆき、ケイちゃんの名前もあって、懐かしい感じはしたけど、今さら彼女たちに愛の告白もあったもんじゃない。却下だ。
 有馬は続けざまに六組までの、それなりにかわいい子の名前を並べた。だが、どれもピンとこない。

 とその時、ボクはある名前をふと思いついてしまった。そして、僅かにそれが表情に出てしまったようだ。
「ん?…… 
 いた? 誰か思いついた⁉」
 なんだか宝探しになっている……
「…… いや、でも口もきいたことがない……」
「誰だよ⁉ 口もきいたことがないやつなんているのかよ⁉」
「いるよ。あっちの小学校出身だと話してない子なんていくらでもいるよ」
 それは事実だ。二つの小学校が一緒になって一つの中学校になっているから、出身小学校が違えばまるで知らないままの同級生だって結構な数いた。
「ほ~、つまり、七小ってことだな?」
 今度は取り調べ刑事のような口調になる。まぁ、警察もやーさんも似たようなもんだ。
「…… そうだな」
 なぜか段々追い込まれた気になってくる。
「誰だよ! 教えろ! ここまで話したんだから教えろ‼」
 なんでこういう話になったのか、完全にふたりとも忘れている。なぜか、ボクが彼に好きな子を白状しなきゃならない雰囲気になっている。
「…… 六組」
 誰、とはっきり言えない。みょ~に照れくさい。
「六組? 誰かいたか? 椛島じゃないんだよな…… いたか? かわいい子?」
 こういうふうに言われると急に言いたくなくなる。お前の趣味は異常だと言われそうな気がしてくるのだ。
 そうだ。なぜ中学生時代、誰かをまともに好きになれなかったのか、その理由を思い出した。
 それは、選んだ相手のことをぜ~んぜん可愛くないと言われるのが無茶苦茶恥ずかしかったからのような気がする。

「じゃあ、当たったら言うよ。今日はもう帰ろうぜ」
 誤魔化そうとした。
 しかし、こういう卑怯な方法を任侠の世界では最も嫌う。
「てめえ! ふざけたこと言ってんじゃねぇーぞ! 白状しろや、はよ‼」
 ふたたび胸倉を掴みかからんばかりの勢いだ。これはヤバい。
「わ、わ、わかったよ…… 言うよ、言うから……」
「誰だよ!」
「ま、前澤……」
「前澤?」
 有馬はピンと来ていない。そうかもしれない。有馬も同じクラスにはなったことがないはずだ。
「前澤ねぇ…… あんまよく知らね…… 部活なに?」
 なぜかその頃は所属している部活で相手を見定めようとする傾向があった。
「運動部じゃないと思うな…… オレもよく知らね」
「どの辺の子?」
「磯原とよく一緒にいる子だよ」
 磯原とは、同じクラスの、ちょっと色っぽい子だ。
「磯原と?…… あっ! 思い出した! あれか‼」
 ボクは恐々として有馬の下す評定を待った。なぜか知らないが、第三者の判定が異常に気になる。
「お~お~いたなぁ。まぁまぁかわいいじゃんか」
「だろ⁉」
 ボクはホッとした。なんだよ、あんなブスが好きなのかよ、なんて言われたら、もう絶対に口説くなんて気になれなかっただろう。

「ちょっと待ってろ!」
 そう言い残すと、有馬は中庭から教室に駆け戻り、あろうことか磯原を連れてきた。
「おい! こいつ、お前のツレの前澤? だっけ? そいつが好きなんだってさ!」
 おいおいおいおいおいおい、である! なんで磯原まで巻き込む必要があんねん‼
「へぇ~~~~、神原クンってそうだったんだぁ‼ わぁ~~~、これって結構衝撃だよ!」




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