あの子、誰?

「あの子、誰?」

 翌日、現代史ジャーナルの定例ミーティングに顔を出した一縷に、涼音がいきなり問いかけた。
「あの子って…… 昨日テラスで一緒だった子ですか?」
「そう。なんかやけに目立つ子」
 椅子に座った涼音と、その前に直立している一縷。その姿はとんでもない不始末をしでかした後輩が、先輩に叱責される図だった。

「クラスメイトですけど…… 気づいてたんですか?」
「気づくわよ。ひっつめ髪のスラッとした子なんて、ここじゃそうお目にかかれないもの」
「な~んだ、それなら声かけてくれればいいのに」
「イヤだよ! そんな…… 邪魔するみたいで」
「邪魔?…… ボクは先輩に無視されて、ちょっと凹みましたけど?」
「へえ〜、まるでそんなふうに見えなかったけどね」
「…… 」
「ああいう子が好きなんだ?」
「…… え?」
 涼音の意外な言葉に、思わず一縷は彼女の顔をじっと見てしまう。
「別にどうでもいいけどさ」
 マズい! とでも思ったのか、涼音は急に無関心を装い、手元の資料に目を落とした。一縷がどう反応しようか迷っていると、そこに鶴川と飯島とがやってきた。やぁ、と手を挙げただけで黒板に向かった鶴川に対し、呼んでもないのに飯島は会話に加わった。

「三上ちゃん、どうかした? 随分不機嫌そうだけど、新人君が何かやらかした?」
 涼音と一縷の顔を交互に見ながら飯島が口を挟む。確かにこの状況、先輩が後輩の不始末を詰っているように見えなくもない。
「何でもないよ。彼が、かわい~〜子と、楽しそ〜~にしてたから、目立ってたよ、って言ってただけ」
 涼音は皮肉たっぷりにそんなことを言う。
「なんだなんだ? お前、彼女いるのか?」
 飯島が、あっそう、で済ます訳がない。
「クラスメイトなんだって。凄い美人だよ。知らない? 一年生にひっつめ髪の細い子がいるの?」
「へぇ〜! そんなバレリーナみたいな子がこの田舎町のキャンパスにいるの?
 うんぐろうぶりっひunglaublich~」
「バレリーナ、ではなく、バレリーナです」
「マジか! このキャンパスにもバレエ部できたの⁉」
「ないわよ! きっとお嬢様の高尚なご趣味なんでしょ」
 一縷は半ばあ然と涼音の顔を見てしまう。服装、装飾品だけから判断すると、涼音さん、あなたの方がよほどお金持ちのお嬢様に見えますよ、と皮肉を返したいところだ。そこに、
「三上ちゃんも十二分じゅうにぶんにお嬢様に見えてるけどね」
 などと飯島が言うから、一縷も思わずニヤついてしまう。すると、涼音は猛然と怒り出した。
「これは全部バイトで貯めたお金で買ったものだからねっ! 人にとやかくいわれる生活なんかしてないから!」
 そう言い放つと、彼女は会議室から憤然と出ていってしまった。あまりの剣幕に、一縷と飯島は思わず目を見合わせる。

「…… お前、三上ちゃんに何かしたの?」
「えっ? まさか! あの目立つ子は誰だ? って言われてただけです。飯島さんこそ、あんな言い方するから三上さんを怒らせるんですよ」
「オレのせい?
 いやいや、お前がその子とイチャイチャしたからじゃないの? 三上ちゃんはそういうの凄く嫌がるよ。潔癖症なとこあるから」
「ちょっと待ってくださいよ、ボクはクラスメイトとランチしてただけですよ。それがおかしいですか?」
「おかしいかどうかは知らないけど、三上ちゃんにすれば不自然だったんじゃないの? ランチしてるだけに見えなかったとか?」
「ただのランチで不自然って…… そう見る方が不自然なんじゃないですかね?」
 そのつもりはなかったが、話の行きがかり上、一縷が涼音を批判する形になってしまった。
「じゃなにか? お前は三上ちゃんがお前にヤキモチでも焼いて、歪んでものが見えてるとでも言いたいわけ?」
「…… 」

 話が拗れそうだ。
(たかがランチで、ここまで話が拗れるかね?)

「しかし、ありゃ相当怒ってたな。お前、ちゃんと謝れよ」
「謝れって…… 何を謝るんですか?」
「公衆の面前で、ハレンチでした、とか?」
「それ…… マジで言ってます?」
「アハハハ…… 半分マジ」
「…… 」

 一縷は涼音のことが気になり、もっと近寄りたくもあるのだが、彼女にどう接すればいいか、まるで見当がつかなかった。


 ◇ ◇ ◇


 その夜、伊咲から電話があった。ジャーナルでの出来事を探られている気がして、一縷はやや煩わし気に電話に出た。

「ジャーナルなら新人、六人に増えたぞ。来週は歓迎会だって」
「昨日一緒にいた子もジャーナル?」
「昨日って…… ひょっとしてテラスで一緒だった子のこと言ってる?
 未来から聞いてない? クラスメイトだよ。未来がお前を連れてくると思ってたけど、そう言えば来なかったな、昨日」
 すっかり未来と伊咲のことを忘れていた。

「未来が放っておけ、って言うから遠くから見てただけ。だけどあんな目立つ子といたら、誰でも気づくよ」
「そんなに目立つ?」
「目立つよ! あんなひっつめ髪なんてしないでしょ、普通」
「そこか…… みんな同じこと言うな、アハハ」
「そうでしょ? 誰か同じこと言ってた?」
「すず…… ジャーナルの連中」
 伊咲はと言いかけた一縷の言葉を聞き逃さない。

「あの人もそんなふうに言ってたんだ。ふ~ん」
「まったく…… 関係ない他人のことが、そんなに気になるかね」
「関係なくはないんじゃないの? 友達のことは誰だって気になるのが普通だよ。一縷も私や未来が知らない連中と仲良くしてたら普通に気になるでしょ?」
「いや、全然。オレはそんな時は自分に気づくな、知らん顔してくれ、仲間に入れようとするな! って願うけどね」
「バカみたい。それは気になる、ってことの裏返しだよ。昔から言ってることがガキなんだよ、一縷は」
「…… 」
 伊咲の言葉に反論できず、一縷は黙り込むしかなかった。

「そうそう、そんなことじゃなかった」
 伊咲が用件を思い出したように話題を変えた。
「ゴールデンウイークにさ、バーベキューしない? 三人で」
 一瞬、面倒くさいな、と思ったが、先日、伊咲を冷たく拒んだことが引っ掛かって、一縷は無碍に断れなかった。
「うん、いいよ」
「あら、珍しい。素直に一回でオーケーだなんて。
 ははぁ〜ん、この前の夜のこと、少しは反省してるな?」
「…… 別に行かなくてもいいんだけど」
 見透かされると一縷はすぐに不貞腐れる。厄介な性格だ。

「うそだよ、うそ! 冗談!」
 よほど伊咲は大人だ。
「じゃあ、決まったら連絡して」
 一縷にはもう話し続ける用件もない。あっさり電話を切ろうとする。

「ちょっと!……」
 伊咲はまだ何か言いたそうだった。

「あの人も歓迎会に出るの?」
 どうやらまだ涼音のことが聞きたいらしい。
「お前ねぇ…… 上級生が揃ってこその歓迎会だろ?」
「そうだけど…… 」
 伊咲が口ごもった分だけ、一縷には彼女の言いたいことが逆に伝わるようだった。

「気をつけなさいよ」
「何を?」
「…… 女の人には」
「アハハハ、そんな心配してくれてんの?」
「一縷…… 私は嫌な予感が…… 」
 そこまで言いかけた伊咲の言葉を一縷は遮って会話を終わらせようとした。
「わかったから。もういいから! 切るぞ!」
「まって!……」
 伊咲の声を無視して、一縷は通話を一方的に打ち切った。
 ちょっと面倒にも感じるが、伊咲があれこれ心配してくれるのは嫌いじゃない。自分に関心を持ってくれるのは彼女と未来だけ、ということも気づいてはいるのだ。

 丸いアイコンの中の伊咲に目が止まる。未だ高校時代のセーラー服姿のままだ。 
(伊咲ちゃん、いくらなんでもセーラー服はないんじゃないの?)

 というものの、一縷はどこかで、いつまでも変わらぬ伊咲でいることを願っている気もしていた。




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