あのころ~の未来に~ ぼくらはたっているのかなぁ~♬

「それならそうと言えよ! 試合は早朝だろ? 終わってそのまま本店に行きゃいいだろ! もう~……驚かせるな!」

 支社長代理の前で、唐澤と宇多が並んで叱られている。どうやらふたりは、三日早朝に行われるサムライブルー対ベルギー戦のパブリックビューイングに、部店の若手数人と出かける予定になっていたらしく、唐澤の引継ぎ日程がそれに重なって慌てた幹事役の宇多が思わず大声を出してしまった、ということらしい。

「だって、そのあとはカラオケで…… 」
 宇多のいいわけを横で聞いていた遥は思わず噴き出しそうになったが…… 十六年前の自分を思い出し、ふたりを叱る気にもなれずにいた。

(そうだった。自分だって…… ァハ)

 十六年前の日韓ワールドカップ予選、対チュニジア戦があったあの日、数日前から研修所に缶詰だった恭平を、東京駅でハラハラしながら待っていたのは紛れもなく入社二年目の私、神河かみかわはるかだ……。

『絶対大丈夫? 来られるよね? 間に合うよね? 約束したもんね?』 そんな焦りとも催促ともつかぬ言葉を、ガラケーから何度も何度も送り続けた恥ずかしい過去があるんだった。

(あれがきっかけだよね)

 そう。ひとりで待っている不安と焦り。そして試合での大興奮!
(そんなことを共有すれば…… だよね)
 思わずひとりで顔を赤くする遙…… 

(いかんいかん。気を紛らわそう。
 そういえば、あの頃使ってたガラケー、白いインフォバーinfobarだったよね? あれ? それはもっとあと?) 
 そんなどーでもいいことがふと蘇る。

(もう十六年も前かぁ…… あのころ〜 の未来に〜 ぼくらは立っているのかなぁ〜♬
 ん? この曲は…… もっと古いんだっけ? もぉ〜〜、どうだったっけぇ〜〜)
 誰かに確かめるわけにもいかず、支社長席で髪を掻きむしる遥。…… と、上げた視線の先に嘱託社員の美濃さん。怪訝そうな顔でこっちを見ている…… バツが悪いったらありゃしない。

 ……そう、この十六年間で何もかもが変わってしまった。振り返ればあっという間だったような気もするし、長い長い十六年だったようにも思えてくる。
 この間、恭平と結婚し、子供が産まれ、マンションに移り住み、父が死に、恭平が仕事を変わるといい始め、業務本部に転勤になり、女性管理職がなぜ少ないか、みたいなプロジェクトに呼ばれ、あれよあれよという間にコース変更となり、本日に至る、みたいな……

(なにもわかっちゃいなかったんですよ、私は。
 煽てられて、あれ? 私って求められてる? ってな気になって……
 これからはお前のような女性の感性で引っ張ってくれ、な~んて……。
 そんなこと言われりゃ、誰だってその気になるってばさ!  あ~~~ぁ、浅はかだった)

 と二度目に髪の毛をくしゃくしゃにした時、美濃社員が徐に席を立ち、わざわざ耳元で囁くようにこう告げた。

「支社長…… 小野田さんから電話です」

 美濃さん、変な気を回しすぎ! 唐澤の後任だから!
 そういいながら受話器をとると…… なんだかなぁ~な声がぼそぼそと届き始めた。


✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤


 小野田からの、ま~~~ったく覇気を感じさせない電話が終わると、待ってましたとばかりに葛原が声をかけてきた。

「支社長、今夜ちょっといいですか?」

 溌溂として陽気な唐澤に対し、おっとりとして地味な葛原。酒席も、誘われれば断らないが自分からは決して誘うことなどない彼が、今夜はお酒を酌み交わしながら話をしたいという。

「うん。いいよ。これからのことでしょ?」
 そう。これからのことだ……。
 唐澤の抜けた穴をどう埋めるか。営業未経験の小野田に、どこまでそれを埋められるか…… 考えると頭が痛い。

『市場調査部から選り抜きの知性派呼んどいたから。キミなら大丈夫! 頼んだよ』
 あの禿デブが内示伝達の帰り際、『今年が勝負だな』の決まり文句の後で繰り出したもうひとこと。あの時は自分のことで頭がいっぱいいっぱいでまるで気がつかなかったけど……
 小野田からの電話を受けた直後の今、その言葉の真の意味が…… 嫌でもわかる。

 小野田 健。二十八歳…… 某有名大大学院卒。

(なんでよこすかなぁ…… こんなの)

 彼の人事ファイルを眺め、遥は、ふぅ…… とため息をついた。


❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤


 その日の夜、遥と葛原が向かったのは、駅と反対側の住宅街にある、ちょっと隠れ家的な雰囲気の店だった。松の枝が頭上を這うように広がる木戸を潜ると、現代的で洋風な引き戸の玄関が現れる。この和洋風な佇まいの店で味わえるのはリーゾナブルな無国籍料理。唐澤が見つけて来たこの店は、時折、メンバーの誰かと非公式の打ち合わせをする場所になっていた。

 その店に今夜は葛原と差し向いで座っている。妙に居住まいが悪く落ち着かない。人間の相性ってのは厳然とあるようで、相手が唐澤なら特段の話題がなくても会話が弾むのに、葛原が相手となると妙に気を遣ってしまう。

「あれ? 葛原君とふたりで飲むなんてあった?」
(だめだよなぁ、こういうところ……)
 そう思いながら、遥は差しさわりのない話題を探すのに苦労した。

 そんな気詰まりを葛原も気にしたのだろうか? 彼は徐にタブレットを持ち出すといきなり今夜の用件を切り出してきた。液晶画面には新メンバーの業務分掌らしきものがずらりと並んでいる。

「これ…… どうでしょう?」
「考えてくれてたんだ。アリガト」

 内容を確認することなく、とりあえず礼を言う。葛原もようやく支社長代理っぽくなったなぁと思うと、ちょっと嬉しい。

 が、その内容は……
 えっ? これ? マジのやつ?

 と、問い直したいほど荒っぽい。何しろ、ここまでやるかっ! ってほど、葛原にだけ都合が良さそうだ。超大口顧客数社の担当と主要管理業務を除いた、それこそ掃いて捨てるほどの雑務が小野田担当になっている……

 担当者の自主性、やる気の尊重、そりゃそうだけどさぁ……な感じ。ただ、この微妙な感じを伝える術が、遥にはまだない。
 横目でちらっと葛原の様子を確かめるが…… どや顔やん。
 言葉が見つからず、その後うんともすんとも言わなくなった遥。とうとう痺れを切らして葛原が先に口を開く。

「小野田って、学究派だそうですね。お勉強ばっかの秀才に、重要客先の担当ってのはどうなんですかね?」
(無理ですよね? そう言いたいんだよね? それはわかるよ…… だからといって、いくらなんでもこれはねぇ……)

「う~ん。そうね。でも……日本語はしゃべってたよ。変なシンコペーション、なかったし…… アハハハハ…… ハァ」

 葛原君…… これはノーのサイン。わかってね…… 心でそう訴えかけ、相手の目を見ずワインをゴクリ。伝われ~伝われ~

 ……

 だが、願いも空しく、葛原にはとんと伝わる気配なし。そして、しばしの沈黙……

 仕方なく、遥はもう少しわかりやすい「ノー」のサインを送るしかなかった。

「まっ、今日のところは飲むとしますか? ね、葛原君。いつもご苦労様。割り勘だけど、かんぱ~い」
 女性の感性で新しい支社を…… 掲げたお題目がどんどん遠ざかるのを、遥は遠い目をして、ただ見送るしかなかった。トホホ……




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