スーパーオミトーシ

 朝方、私は洗面台で歯磨きを切らせていることに気づきました。昨夜、使っているチューブの残りが少ないことに気づいてはいたのですが、換えのチューブがあるものと思い込み、迂闊にも確認しないまま眠ってしまったのです。昔からミント味の強い歯磨きを使わなければ、眠りと朝の区別がつかず嫌な心持ちになるタイプの私は、簡単な身支度を整えて、歩いて三分の場所にあるスーパーオミトーシに出かけました。

 この二十四時間スーパーを、ここに越してきてからずっと使い続けています。もちろん、ネット注文派の私ですから、重い荷物はそちらに頼みますが、時にはここオミトーシを利用して私のことをちゃんと知っておいてもらう必要があります。歯磨きひとつを買い求めるならちょうどいいと、私はなんの躊躇もなく早朝からやってきたのです。たぶん、この町に住んでいる方なら皆さんそうされると思いますけどね。

 スーパーには多くのお客さんが集っていました。老若男女、海外から移住された方もすっかり増えました。見るからにお金持ちの奥様も、私のような四十過ぎの独身男も、それから、二十代のおねーちゃんやらもっと年下の女子高生もうろうろしています。いつものことながら、ここはメルティングポットの賑わいです。

 ドアに近づくと、音もなく自動ドアが開きます。と同時に、ダウンライトのひとつがパッと私を照らします。この瞬間だけは未だに慣れないのですが仕方ありません。スーパーとはそういうものです。私の方が早く慣れるべきですね。
 お年寄りの中には思わず顔を背けてしまう人もいらっしゃるようですが、それでは正しい判定をしてもらえません。おばーちゃん、顔、ちゃんと上を向けてくださいね。ほら、横の女子高生なんか、ガングロな顔を上に向けて、みて~って感じです。おやおや、そこまでしなくていいんですよ、あ〜あ〜、ヨダレ垂れてるし……。まぁ、それでもいいんですけどね。

 ダウンライトが私の顔から足元に照らす位置を変えると準備完了です。さあ、入店しましょう。

「おはようございます」

 ビームスピーカーから心地よい女性の声が私だけに届き、囁くように話しかけます。私は前もってガイドヴォイスは麻生久美子さんの声にして欲しいとリクエストを出しているので、このスーパーでもそれが忠実に守られています。だってほら、朝っぱらからオカリナちゃんの声もあれでしょ?

「お足もとにご注意しながらお進みください。商品はこちらになっています」

 ガイドの久美子さんが優しい声で私を導いてくれます。そうです。ダウンライトが照らしたあの一瞬で、私の身体から発する微弱電流や発熱発汗、それから微妙な視線の動きのほか瞳孔の開き具合、さらに、私が過去、ここで購入した商品の履歴、さらには、常日頃使っているネットスーパーでの購入履歴が瞬時に確認され、私がここにやってきた意図、何を求めているのかをAIは自動的に算出し、正確無比に予測しているのです。

 私は何もする必要がありません。大声で店員を呼ぶことも、商品を探して店内をうろつく必要もありません。ただ、久美子さんの声に誘われて指定の商品棚に向かうと、欲しいものがスポットライトに照らし出されており、それを掴めば指紋認証で決済が終わるというおまけ付きでお買い物は終わるのです。

 楽しくないじゃないか?

 えっ? どういう意味ですか?
 日用品のひとつを購入するのに楽しいとか悲しいとか、喜怒哀楽を消耗する必要がありますか?
 もう百年も前に、喜怒哀楽が人の寿命を百年は縮めているという研究結果が出ていますが、あなた、知らないんですか?

 私はそんな無駄はしません。AIが自動的に算出してくれた結果を、ただ黙って受け取るだけです。

 あっ、そうだ。そんなことより、ついでにアイス、買って帰ろう。この時期はやっぱりスイカアイスだ。そう思った瞬間、久美子さんの優しい声が聞こえます。

「こちらでございます。新商品ほか三点ご用意しております。お好きなものをお選びください」

 もう、至れり尽くせりです。これで実際のガイドさんが久美子さんだったらなぁ、と思えば、バーチャルショッピングができるようゴーグルも用意されていますが、ちょっとゴツイいので私はいつも声だけで我慢しているんですけどね。今度、試してみようとは思っています。

 以前、カッパ手の私はきっと手のひらの発汗で事が知られてしまうのではないかと思い、手袋をしてここに入ったことがありましたが、AIの探知能力はそんな生易しいものではなく、もし心に抱くすべてを知られないようにしたければ、全身ジュラルミンのスーツに身を包むしかない、ということでしたので諦めました。重いでしょ? それに、そんな不審な行動をすれば、AIがすぐに不審者情報を当局に通報し、入店から三分もしないうちに連行されることでしょう。なので、長いものには巻かれろ、久美子には従え、です。

 結局、私は昔からこれ一択の三角形のスイカバーを選んだのですが、これも食品に対する私の保守的な嗜好を汲み取ってのことです。もし、次から次に新商品を選ぶ私の相方になら、商品棚にはきっと三種類の新商品が並んだことでしょう。

 さて、私はこれで買うべきものを買ってしまったのでもうここに用はありません。といってひとり住まいのあの部屋に今すぐ戻る気にもなりません。
 するとどうでしょう。先ほどまで私の足元にあったはずのスポットライトがある女性との中間を照らしているではないですか‼

 私はピンと閃きました。
 あー、きっと彼女も出勤までの短い時間、ちょっとだけお話しできる異性を探しているのだな、と。

 この出会い系マッチングサービスはとても優れたもので、今や結婚する男女、時には男男、女女のカップルのうち九十七パーセントが、ここのマッチングサービスを利用したと報告されています。
 このサービスのどこがそんなに優れているかと言えば、好きな顔、求める年収、性格の一致なんて表層的な一致点に限らず、今この瞬間の状況を正しく反映して相手を見つけ出すところでしょうか。あまりに凄いので、この機能を不謹慎な目的で利用し、夜ごと彷徨う輩が増えて社会問題化しているようですが、私などはそこまでのことはカラダが要求しませんので、今はこのスーパーで暇な時間をつぶせる話し相手を探す程度です。

 私は何も考える必要がありません。ただ、思い浮かんだことをダウンライトの下で相手の女性に話しかければ、すべて上手くいきます。今の私をそのまま受け入れてくれる異性、もしご希望なら同性でも探し出してくれるので、どう声をかけようか、なんてことを悩む必要がありません。昔から知っている同級生に対するように、いきなり用件から話し始めてなんの問題も生じないのです。

 私はつかつかとダウンライトの下に歩み寄りました。

「アイスはやっぱりスイカバーだよね。ひとつ食べる?」
 すると、初対面のその女性もつかつかとダウンライトの下に歩み寄ってきます。

「バカじゃねーの」

 そう言うなり彼女は私の手からスイカバーを奪い取ると、つかつかとスーパーを出て行ってしまいました。

 あー! やっぱAIは凄いよ。ボクの趣味通りだ‼

 私はニンマリしてその子の後ろ姿を見送ったのでした。今度は夜、どこかのマッチングで出会えればいいな、な~んて考えながら。

 さて、今日もいい天気になりそうです。そろそろ自動運転の無料タクシーが迎えに来る頃です。早く歯磨きをして出勤することにしましょう。

 二三一九年六月五日。午前八時二十四分の出来事でした。

 おしまい。




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