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2019/01/07

昨年の今頃狂い咲きした庭の椿が今年はひとつも花を付けない。柚子の実も大きくならず香りも良くない。花や果実の出来不出来は年ごとに不思議なほど振れ幅が大きい。
花のことなど気にもしていなかった頃には、花なんてものは毎年同じような時期に同じように咲くものとばかり思っていたのに、今は思うに任せない方が当たり前、くらいに思っている。そういう自分の変化の振れ幅も笑えるほど大きい。

つくづく、当たり前なんてことはどこにもないのだなあと思う。


かつて、狂い咲きした椿の話をして笑いあった。
今は椿のことも柚子のことも、ひとりで黙って眺めている。
今はそれが当たり前。

ということは、この当たり前もいずれ当たり前ではなくなるということ?

そう思うと、なんとなく笑えた。
『レ・ミゼラブル』ついつい最後まで観ちゃった。今はこういうのを観たい気分になる。
悲劇が観たい、読みたい、って心理はきっと現状に満足していない証拠だ。満たされぬ何かがあり、自分だけじゃない、って思いたいのだろう。
誰かの成功譚なんて観る気もしない。打ちひしがれる状況の中、どこまでも続く苦難に主人公たちが苦しむ姿を観たいのだ。
ただ、ラストに少しでいいから救いを残してくれよ。
悲劇的な最期であったとしても、それが誰かの次につながるって印象を残してくれよ。
自分の価値は自分以外の人が実現すると思わせてくれよ。
そこは外しませんでしたね。お正月だしね(⌒∇⌒)