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2019/02/02

ブログに小説や詩を載せている人から『いいね』されると、一度は必ずその人の作品を丁寧に読むことにしている。
自分からは新しいサイトを訪れることがないので、見つけてくれたお礼の意味と同じ物書きのシンパシーを込めて、また、ひとつくらいはちゃんと読まなきゃ、という義務感も湧くからだが、時々、ぐいと惹き込まれる作風の人もいて、そういう場合は、この人はなぜこんな作品を書くのだろう? と、その人自身への興味に変わることがある。

商業本の場合、作者その人に関心が向いたことはただの一度もないが、ブログやweb小説を書いている人には時々そういう関心が向く。それは、相手の存在に手が届きそうな錯覚を覚えるからだろう。こちらから働きかけると何かしらのレスポンスはあるんじゃないか、という無意識の期待もあって、どちらにしても、相手を遠い存在とは思っていないからだろう。

会いに行けるアイドル、ってキャッチフレーズがある。彼女たちに熱狂するファンを冷ややかな目で見ている自分がいるが、よくよく考えると彼らの心理も同じようなものだと気付く。握手すること、目を見て会話することで、彼らは目の前のアイドルが、いつか自分の傍に居る存在になるのかもしれない、そんな錯覚に陥るのだろう。

それはさておき

商業本の世界はいざ知らず、趣味の範囲を出ない作品というのは、ファンタジーを除けば多かれ少なかれ作者自身が投影されるものではないか、と思うところがあって、作品に意味深なことが描かれているとついついその理由が知りたくなる。

創作物は厳密な意味ではフィクション、虚構なのだろうが、虚構でも根も葉もない空想というより、現実の何かを反映させたり、逆にわざと反映させなかったりするもので、作者の実体験から遠く離れたものにはなり得ない、そう考えるのだが、この意見は大抵否定される。あくまで、フィクションはフィクションです、そう言われる。

そういう答えを聞くと、フィクションってどういうものなんだろ? って時々思う。
百パーセントのフィクションを構築して、果たして作者は何が面白いんだろ? 想像すること自体が面白い?
フィクションとはつまりどういうものなんだ? 過去作品を改稿しながら、ふとそんなことを思った。


ついでに
貼付はマーラー。この曲のイメージがこびり付いた映画があるが、何だったか思い出せないでいる。妙に悔しい。
ワインを飲み過ぎたようだ。二日酔いです。