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2019/02/03

気になるブログがある。ハッとさせられる写真と記事、ポエム。この人はどんな人なんだろう?と興味を唆られる。何かを訴えかけているようであり、ただ思いついたことを綴っているだけのようであり、この人のブログを眺めていると、表現者とか、表現することそのものを考えさせられる。

最初に見たのは、ベトナムの街角を切り取った印象的な写真とそこに付された短いコメントだった。この異国の地の、観光客が足を踏み入れそうにない市井の様子が淡々と描かれている。自分たちと違わない人間の営みがただそこにある、という目線で捉えられている。それがかえって惹き付ける。人間の素に対して先入観なく真正面から向き合う印象を与えた。

他にどんなことを描いているのか気になって過去記事を遡って読んだ。

すると、最初に感じた印象どおり、この人の記事はどれもが隠し事がなくウソがない。直截な感性に満ち溢れていて、時にはあまりにストレート過ぎて読んでいる側が赤面する内容のものもあるが、それもこの人の内面に沸き起こる自然の情感なのだろうと思わせる。読み続けるほどに、この人のまっすぐな生き方がひしひしと伝わり始める。逃げない、背を向けない、そういう強い印象を与える。そこに人間が普遍的に直面することを垣間見る。生きることで直面する問題を見る。きっとこの人の生活には、喜怒哀楽がそのまま表出しているんだろうということを思わせる。

そして、その対極としての自分に気づく。喜怒哀楽を可能な限りゼロにしようとしている自分に気づく。視線は常に斜め45度の上空から。近寄ることなく、かといって離れるわけでもなく。自ら近寄らず遠ざからず。存在は限りなく軽くふわっとしたままだ。

「サラサラ流れる水のような生き方が理想だ」
明確に人にそう答えていた時期がある。もう十年近く前のことだが、その当時から、ボクはある意味で仙人のような達観、物事に拘泥もしなければ波風も立たない生き方を理想にしてきたように思う。
その生き方は決して嫌いじゃない。今でも理想のままなのかもしれない。
だが、人の心を打つのは、やはりどこまでも直截な喜怒哀楽の表情だったり表現だったりするのだと思う。その人のブログを読んでそう思った。

ちょっとワインを飲み過ぎたかもしれない。だから、こんなふうに感じただけかもしれないけど(^^ゞ
今年は白梅の花の付きが悪い。去年の半分以下だ。これじゃメジロもやってこないかな。