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2019.04.11

特別気にしているわけではないが、ボクは絵が下手だ。絵心がないという以前に、目の前の人や物を、目に映るそのままの姿で画用紙に写すことができない。見えたまま長さや距離を縮尺すれば誰にでも写実的な絵が描けそうなものだが、小さい頃からそれがまるっきりできない。手越画伯には及ばないが、ボクが描いたものを見て、なんでこの人厚みがないの?くらいのことは人に指摘される。だから間違っても自画像を描いて見せよう、なんて気は起らない。
うまく描けたら世界は違っただろうとは思う。言葉だけでは表現し尽せないイメージが頭の中で蠢いていても、それを表出できずに悔しいと思うことは何度もある。

そう言えば楽器もできない。その原因のひとつは、幼い頃、無理矢理エレクトーン教室に通わされて嫌で嫌でたまらなかったことと、中学時代の流行でギターを弾こうとした時、弦を抑えた指がやってもやっても皮が剥けてしまい、自分には向いてないと放り出してしまったことに由来している。音楽好きなのに楽器とは無縁というのは実はかなり悔しい。今でもアルトサックスならやれるんじゃねーか?程度の変な自信はあるが、やってできないと悔しいからたぶんこの先もやらない。

さらに記憶を辿ると、走ることと球技以外の器械体操とか水泳とかも全然ダメだった。特に器械体操でマット運動や鉄棒をやらされると、それでなくても学校嫌いだから登校拒否一歩手前のどんよりした気分になった。
ついでに思い出したが、技術家庭科も嫌いだった。工作ができない。製図はできるがモノづくりの段になると正確に木が切れない、つまり、ぶきっちょだった。

こんなだから学校に通っている時はつまんないことも多かった。
歌って踊れる子が羨ましかった。楽器や絵や運動が好きでたまらない、寝食を忘れるほど、って感覚がまるで理解できなかった。
だったらできるように努力すればいいのだが、努力が人一倍向いていない。とにかくすぐ飽きるし諦める。

だから、そういう中途半端な子を見るとシンパシーを感じる。よしよし、お前もそうか、って気になる。
大丈夫、大人になるとそんなこと誰も気にしないから、と言ってやりたくなる。

集団登校する小学生を見かけて、こんなことをふと思い出した(^^ゞ
ずいぶん成長したものだ。ぶっきらぼうなところはそっくりですね。誰かに(笑)