2019.04.17
衝撃的な映像だった。紅蓮の炎に包まれ尖塔が崩れ落ちる。炎の中に黒く異様な姿を晒す大聖堂の骨組みは、魔女裁判で火刑に処せられた中世人の断末魔に重なり……だが、どうやらこの中世観は事実誤認らしい。魔女裁判を主導したのは集団ヒステリーに陥った多くの民衆で、カトリック教会の仕業ではないという。いつの間にか、中世を宗教的暗黒の時代と決めつける固定観念に凝り固まっていた。
では、果たして当時のリアルはどこにあったのか? そこに暮らす人々のごく普通の感覚はどのようなものだったのだろうか?
さらにまた別のこと……
最近、ひたすらマーラーの交響曲第5番を聴いている。1902年、マーラー42歳時の作品。その前年、18歳年下の女性と結婚。出自は剛毅なユダヤ人商家……
反ユダヤ主義、産業社会化、若い女性と中年男、それやこれやが相俟って、勝手な作品像を形作る。都合よく、交響曲は暗から明へと展開する。
だがこれもまた、リアルな時代的感覚とは異なる別物かも知れない。当時を今の時代感覚で再現する、遅れてきた者の後付けの理屈。
そこがもどかしい。過去の痛みも喜びも、その時々に沸き起こったはずの様々のことを、そのリアルで感じられないことがもどかしい。
そして、やがては現代も、さらに遅れてきた者に勝手に位置づけされる側に回る。
そんなことを思いながらニュースを眺め、マーラーを聴き、そして横になる。眠りは訪れず、いつの間にか夜が明け白んだ。