2019.04.18
若い頃、人にプレゼントを貰うことが苦手だった。大袈裟にありがとう!とはしゃぐのは照れ臭い。かといって嬉しい気持ちを上手く伝える言葉が見つからない。結局、ボソッと……アリガト、くらいしか言わないから、相手はきっと面白くなかったはずだ。そんな反応をされるくらいなら、二度とプレゼントなんかするものか(-_-メ)、と普通は思うだろうし、事実、嬉しいんだかそうじゃないだか全然反応がわかんない、と呆れられたこともある。だが、今になって、プレゼントをしてくれた人がボクのために費やした時間を思う。ボクがそれと気づかぬうちに、その人はボクのことを考えてくれていたことの意味を思う。こういうのが好きなのかな? それともこっちかな? これはどうだろう? 喜んでくれるのかな? そんなことを考えてくれた時間の長さを思う。そしてそれを届けるまでの時間、いつ言い出そうか、本当に喜んでくれるだろうか? など、それからさらに思い悩んだはずの時間を考える。その人がボクのために費やした長い長い時間のことを考える。
今はこの時間こそが愛されているということの証明だと知っている。人が人を想うというのは、相手に伝わらない占有時間の長さのことを言うのだとつくづく思う。
だから、ボクは手にしたプレゼントを眺めながら、その人のことをずっと想うことにしよう。