Top Stories Diary Index Next Before

2019.04.18

若い頃、人にプレゼントを貰うことが苦手だった。大袈裟にありがとう!とはしゃぐのは照れ臭い。かといって嬉しい気持ちを上手く伝える言葉が見つからない。結局、ボソッと……アリガト、くらいしか言わないから、相手はきっと面白くなかったはずだ。そんな反応をされるくらいなら、二度とプレゼントなんかするものか(-_-メ)、と普通は思うだろうし、事実、嬉しいんだかそうじゃないだか全然反応がわかんない、と呆れられたこともある。

だが、今になって、プレゼントをしてくれた人がボクのために費やした時間を思う。ボクがそれと気づかぬうちに、その人はボクのことを考えてくれていたことの意味を思う。こういうのが好きなのかな? それともこっちかな? これはどうだろう? 喜んでくれるのかな? そんなことを考えてくれた時間の長さを思う。そしてそれを届けるまでの時間、いつ言い出そうか、本当に喜んでくれるだろうか? など、それからさらに思い悩んだはずの時間を考える。その人がボクのために費やした長い長い時間のことを考える。

今はこの時間こそが愛されているということの証明だと知っている。人が人を想うというのは、相手に伝わらない占有時間の長さのことを言うのだとつくづく思う。

だから、ボクは手にしたプレゼントを眺めながら、その人のことをずっと想うことにしよう。

この水仙に似た花が知らぬ間に庭のあちらこちらを席捲している。
植物の世界にも強者弱者の別は厳然とあり、数年も経つと様相は一変する。
この比較的背の高い花が群れ盛る様子を、ちょっと苦々しく思っている。
だって…… あんまりカワイくねーし(^^ゞ

ふと、小学生の頃のことを思い出した。1,2年生の頃、庭に咲いた花を切り花にしてよく学校に持って行かされた。記憶にあるのは水仙やアネモネ、ガーベラ、紫陽花など。要は庭に無造作に咲く花々。
クラスにそんな習慣があったわけでもなく、花の係ってことでもない。ただ、これを持って行け、と言われて渋々従ったまでのこと。近所のハナタレどもからは、なぜ持って行くのか何度も訊かれたし、男のくせに花なんて、という嘲りも感じた。だから嫌で嫌で仕方なかった。で、担任の教師が代わった3年生の時に、もう嫌だ!といって持って行くのを止めた。

あれから数十年、母親は今でも庭の花を切り花にして玄関に飾る。玄関先に何も活けていないと、あれ?と思う。ただの習慣だったんだな、と今になって思った(笑)