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2019.06.03

どうやら断片的で動きの少ない紙芝居のような夢は毎晩のように見ているようで、今朝がたは「いだてん」に出演している小顔のくちゃくちゃっとした女優さんが、「父が○○なんですよ」と甘味処でニコニコ話すシーンを見た記憶が残った。
○○なんですよ、というセリフはつい今しがたまで覚えていたが忘れた。日本語として意味の成立しない用法だった気がする。
小説にしてみようか、という動機付けになる夢は滅多にないのかもしれず、それを起きた時に瞬間でも覚えているというのは更に少ないようだけど、だからといってこういう平板な夢を捨ててしまうのも勿体無い気がする。いつか、何かのヒントにならないかな、と思って書き留めた(^^ゞ










写真は散歩道の途中にある古い用水路の地下構入り口で、以前から色褪せたレンガ組みが気になっていたのだが、一昨日、そこに灌漑用の水が流れ始めていたので写してみた。
このトンネルがあるのは小高い丘の端部分で、そのすぐ横には水田がある。つまり、わざわざトンネルを掘らなくともよさそうな場所にあるので、なぜこんなところに水路を掘ったのか、よくよく考えると不思議だった。
その真の理由は知らないが、この水路の古さ、多分戦前、ひょっとすると大正か明治、いやそれ以前のもののようだから、今とは比べ物にならないほど水田に対する拘りがあって、その持ち主がほんの数ミリでも自分の水田を削るのを拒み、仕方なく下流の土地所有者がわざわざそこを迂回して水路を掘ったのだろうか、などと想像してみた。
後々に生まれ育つ者は土地の由来物にほとんど関心を払わない。特に、どんなに身近に存在しようと直接の関わりがなければ見向きもしない。ボクもそうだから偉そうには言えないが、恐らくそのひとつひとつに人の思いやら汗やらが染み込んでいて、それに関わった人にとっては重要な意味があったのだろうと、最近は時々そんなことを考える。
だが、その大半はやがて存在そのものを忘れ去られる。そこにあることの意味も意義も剥ぎ取られ、ただ過去の残骸となりいつの間にか朽ち果てる。
代謝の激しい都会と異なり、取り残された古い町には、こんな遺物があちらこちらでずっとそんな姿を晒し続けている。