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2019.06.13

本日、「いつか幸せは向こうからやってくる」削除予告日だ。5:30頃確認した時点ではまだ削除されていない模様。記念日なので時々状況を追いかけてみよう^_^

web小説サイトはなぜここまで性描写にナーバスなのだろう? その真の理由はなんだ? 中には性描写があるだけで削除する、と宣言しているサイトもあるようだが、内容の吟味すらなく一刀両断の措置を下すなら、それはもはや「小説」を扱う意義を放棄した自殺行為で、サイト運営者がそこでしたいのは何だ? ただの商売か? と思わざるを得ない。少なくとも、「小説」を通じて人の表現の自由を尊重し文化に貢献するという意欲はサラサラない、と見なす他はない。

そんな高邁な意志まで期待すべくもないとして、なにがここまでのことをさせるのだろう? 何を怖がっているのだろう?
非難の殺到? 当局からの圧力? う〜ん、イマイチそこに過剰反応する意味がわからん。そんなのは事後対応で十分な気がする。

性描写を放置すると収拾つかないくらいサイトが荒れる?
それはあるかもしれない。性描写のハードルを下げると興味本位のアクセスが殺到し、書き込みも荒れるだろう。その手の連中がウヨウヨいるのはなんとなく想像がつく。

でも、もしそれを恐れているとしたら、やはり「いつか幸せは……」を削除するのは過剰反応としか言いようがない。羹に懲りて膾を吹くの愚、そのものだ。この作品に衆目を集めるところなんかねーよ٩(๑òωó๑)۶(笑)

結局、めんどくさいからとりあえず危ういものは排除する、そこにコストをかけられないから判断基準をバイトちゃんにでも容易にわかるものにしておく、そんなことだろうか?

だとすれば、サイト運営はやっぱりクソだな。扱っているものが「小説」と考えていない証拠だよ。
作品内容の確認に手間暇をかけられないなら、本来業務に人員をさけないのと同じだから、この商売からは撤収すべきだな。それはちょうど、近所のおばちゃんを普段着姿のまま店頭に並べるデパートのようなもので、デパートに集う客の期待値をまーったく理解していないのと同じ。

まっ、そんなところにボクは売れもしない駄作を並べてる、他に置いてくれるところがないから、ってことかな(^^ゞ

只今13:30 未だ削除されていない(はず。まさか、キャッシュ残り?www)
久しぶりにブログ記事を書いた。今回の件に関連して。アメブロのトーンで(笑)
この作品の一部をアメブロに公開しようと思う。どこにもアップしていないのも違うかな、と思ったし、この作品はやっぱり好きなんだよな。

佳矢には色んな女性が投影されている。触発されて思い起こす具体的なシーンがあって、こんなこと、あったなぁと懐かしい気持ちになる。
もちろん、現実は物語よりもっとずっと残酷なんだけどね(笑)

今年の春はとにかく異常だ。あまり目立った変化ではないが明らかに例年とは異なる。その変化を樹木は敏感に察知していて、花の付け具合がおかしかったり、果実の付き方が異様にバラついたりしている。

今年は枇杷が異常に多くの実を付けている。あまり好きでもない果実なので、これまで見落としていただけかもしれないが、今年はあちらこちらでたわわに実を付けた木がやたらに目立つ。そういう目で見るからか、外を歩くたびに、ここも異常だ、おや、こっちもだ、と枇杷ばかり気になる始末だ。

庭先に植えておきながらそれを収穫する家は少なく、大抵は放置されたままになっている。中にはゴロゴロ実が落ちて無様な場所すらある。香りの悪い実ではないから気にならないが、あちらこちらに踏みつぶされた姿を見るのはあまり気分がいいものでもない。実をつける樹木は収穫しないなら伐採してやった方がいい気もする。

そう言えばまだ祖父が元気だったころ、我が家にはいろんな果樹が植えられていた。枇杷のほかにも、モモやイチジク、柿に栗、確か、ぶどうやさくらんぼもあった気がする。
幼い頃の記憶で曖昧だが、そのどれもこれも決して美味しい代物ではなく、あまり喜んで食べた記憶がない。だが、二番目の叔母が枇杷を、三番目の叔母がイチジクを好んで食べていて、美味しいの?と訊くと、美味しいよ、と反応があるたび、ホントかなぁ、とふたりの顔を見上げた気がする。

ボクが好きだったのは栗だが、それは味ではなく収穫の愉快さに起因する。まだ子供だったのでイガイガを力任せに踏みつけるのだが、棘が刺さる危険を冒すとつやつやした色合いの実がポロリと零れる時の、達成感というかワクワク感というか、それが妙にツボに嵌った。祖父に栗を採りに行くぞ、と言われると、ホイホイついて行った記憶がある。食べるとモサモサして決して好きじゃなかったけどね(^^ゞ

結局、祖父が病気になり、ぶどうやさくらんぼは枯れた。やがて周囲の畑は人手に渡り団地の一部になった。畑の端にあった栗やイチジク、枇杷の木も今はない。