哲学堂への道

 わざわざこの街に越してくる必要はなかった。

 離婚ではなく別居という形に止めたのは、多感な時期に差し掛かる娘のため。しかし、もはや修復不能な関係から抜け出す方法を見つけ出せなくなったボクと妻が、同じ屋根の下で生活することは不可能だった。言い争いどころか日常会話すら成り立たず、互いの存在をないもののように暮らすことは、どちらにとっても限界だった。

 それでも、この街に越すと言えば、妻がここで暮らした日々を少しは思い出すかもしれないと期待した。それは未練だったか、嫌がらせだったか、いや、何の考えもない思い付きだったか、今となってはどうでもいいこと。ただ、この街に暮らそう、あの桜並木の景色の中に戻ろう、そう思ったのは間違いない。見知らぬ街を選ばず懐かしい景色に戻ったのは、すべてのつながりを断ち切ったわけではないと、自分自身と妻に対して言い訳する気持ちがあったからかもしれない。


 ひとり暮らしに不自由はなかった。待つ者のいない部屋に帰りたくなければ仕事を続けるだけ。やろうと思えば、延々止めどなく仕事はやってくる。
 身の回りの細々した事は、むしろ時間を潰すのに都合が良い。妻との関係が破綻してからは掃除も洗濯もなにもかもすべて自分でこなしてきたから、自分はこういうチマチマした作業が意外に好きだと言う事もわかっていた。
 だが、どこか満たされぬもの、欠けたもの、埋めきれぬものがあった。小綺麗に片付いた部屋に意味なくうんざりする日が増えていた。価値と目的を見いだせない部屋は虚しいだけだ。

 そんな時、琴乃のブログを見かけた。それは本当に偶然だった。

 あれこれのブログやホームページを眺めていたことに何か具体的な目的があった訳ではない。ただ、テレビから流れてくる笑い声に倦んだだけのこと。だから、ひとつひとつの記事に目が止まることは稀で、そこにある人それぞれの瞬間を、ただぼんやり眺めていたに過ぎない。

 彼女のブログもそうだった。特に異彩を放ち目を惹いたわけではない。一記事に写真が一枚。被写体の大半は古い携帯電話。それだけの地味でシンプルなブログだった。ただ、カメラワークが巧みで、印象的な光線の捉え方と構図は作り手のセンスを感じさせた。さらに、読む者に心地よい行間の取り方と、添えられたエッセイの字数もほど良くて、その場に留まりたくなるサイトだった。

 エッセイは彼女に纏わる古い思い出のこと。恐らくは高校時代から始まる家族の歴史。登場人物の少ない、彼女が自身の心の内側だけに問いかけるエッセイだった。他の誰かが読むことをあまり想定していない極めてプライベートな内容が、空の上から俯瞰するような視線で描かれている。当時彼女が持ち歩いたであろう今は動きを止めた携帯電話に肌を寄せるように語られている。過ぎ去った過去を愛おしむ温かな肌合いを感じさせる文章。彼女のエッセイを何度か読んでいるうちに、ボクはその穏やかな世界観に知らず知らず惹き込まれ、癒された。
 そして同時に、その時代はボクが妻と出会い、結ばれ、幸せな家庭を築こうと約束した頃に重なっていた。

 記事に書かれた場所、空間にボクは何のつながりも持たない。だが、異なる場所で同じ時間、それぞれ別の思いを抱いて暮らしている具体的な人の姿を思い浮かべることの不思議を感じた。それは彼女が形づくるブログセンスに拠るところが大きいのだろうが、エッセイの中にほのかに感じる作者その人が、思い出を綴るときに感じた思いが、文字に綴られた一様な幸福な光景とは別のところにあったことを思わせる一文があるのを見つたからかもしれない。
 あの頃のボクの思い出は途中から暗転する。その同じ頃、別の場所で過ごした赤の他人とボクは、記事を挟んで向こう側とこちら側で同じような状況にある気がしたのだ。まるで関連のないはずの人に、ボクはなぜか言葉にならない不思議なつながりを感じた。
 彼女の心の中にある、さざ波、が垣間見えた気がしたのだ。

 ひとり暮らしに何の支障もないと思っていたボクの心に、何かが語りかけてくる。お前には欠けたものがあるだろう? それに気づかないフリをしているだけだろう? そう語りかけてくる。
 妻からは、過去の記憶からさえ締め出された我が身。彼女のブログが始まる頃には確かにあった幸福を、今は見失っている。幸福の二文字はいつの間にか漏れ出てしまったが、その微かなサインは一体どこに隠れていたんだろう。自分は一体どこで間違ったのだろう…… 彼女のブログ記事はボクに過去を振り返らせた。

「涙が出てきました」

 ボクは彼女のブログに短くコメントを付した。それは彼女の描く世界に魅了されただけではない。彼女と重なる時間の中に、ボク自身と妻との時間を見いだせたことに涙が溢れたのだ。そして、なぜかその事を、彼女には素直に伝えてみたくなったのだ。

「ハンカチをどうぞ」

 ボクのコメントに、彼女はこの短い返事を返してきた。

 ハッ…… とした。

 書かれたエッセイ、選ばれた文字から想像していたとおりの人が、目の前でハンカチを差し出す錯覚に囚われた。そしてこの人となら、同じ時間に同じ物を見ればきっと自然に同じ感覚になれるんじゃないか、そんな淡い期待を抱いた。たったこれだけの言葉が、この人とボクは成り立つ、そう思わせた。

 でもそれはあくまで錯覚だ。その時のボクだから見てしまう幻覚でリアルではないはず。姿かたちも、彼女の名前すら知らないのに、そんな幻想を抱くのはどうかしている。ボクは頭の片隅で沸き起こる感情を否定しようとした。
 それでもボクは彼女のブログ読者になり、お返しだろうが彼女もボクの読者になった。そして、時々互いの記事に短いコメントを付すようになった。

 ところが、時を置かず彼女のブログは更新されなくなった。きっと今は何台目かのスマホを使っているだろうに、記事は十年以上前の、古い携帯電話の時代で終わってしまった。彼女はもうこれ以上記事を書かないんじゃないか、そんな予感がした。ひょっとすると、彼女もボクと同様、幸福からの暗転の中にあり、未だ過去にできない何ものかに囚われているのかもしれない、それが理由で続きを書けないんじゃないか? そんなことまで思った。お気に入りのブログの続きが気になるというより、彼女自身を気にしていた。

 思い余ってボクは彼女に長いダイレクトメッセージを送ることにした。ブログが更新されないことより、彼女がボクの視界から消える事を恐れた。大袈裟に言うなら、ボクはボクの理解者になってくれるかもしれない数少ない女性をここで失いそうなことに、抱くことさえ不遜な焦りを感じたのだ。

 所在を確かめるだけのメッセージで良かったのかもしれない。だがメッセージを書き始めると次々に抑えきれない何かがボクの指先を前に進める。彼女のブログに触発されて蘇ったボク自身の記憶のこと、それを引き出した彼女のエッセイの素晴らしさのこと、そして、まだこれからもっと知り合えるのではないかと期待していたこと、その期待が叶わないと思うと残念でならないこと、そして、このメッセージすら届かなくなるなら、ボクは彼女に語りかける術をもう何ひとつ持っていないということ、今はただ、ひたすら彼女からの返信を待つしかないこと。最後は懇願するような恥ずかしい言葉を連ねていた。

「ただ、キミともう一度話しがしたいだけだよ」

 そんな本心を曝け出して、メッセージを送信した。
 送信した後で、これで良かったと思った。誰かに対して抱いた気持ちを、そのまま素直に表現したことをむしろ清々しく感じた。いい年をして、なんてことを思ってしまい、いつもなら口にしないように縛り付けるくびきから解き放たれた気分になった。
 返信は期待しなかったが、かと言って返信がないとも思えない。彼女なら、きっと一言二言、なにかを語りかけてくれるだろう、そんな漠然とした予感もあった。


 果たしてその翌日、彼女からのメッセージが届く。

「今は時間がないのですが、あとでまたメッセージしてもいいですか?」

 ホッとした。メッセージが届いたこと、彼女をまだ視界に捉える方法を失っていなかったことに安堵した。それが確認できさえすれば、その時のボクは満足した。

 そしてその夜遅く、彼女から長いメッセージが届く。そこには、現実世界をおろそかにしながらネットで時間を費やすことに疑問を感じた、ネットではいわれのない中傷コメントが舞い込むようになり、エッセイを続ける自信を無くした、だからボクからのメッセージは嬉しくて仕方なかった、でも、しばらくネットから遠ざかろうと思う、ブログも中断しようと思うというようなことが書かれていた。

 その内容はボクを驚かせることは何もなかった。むしろ、どこかで自分に似た人を見つけた気分になり、実は安心した。もし、彼女のエッセイが彼女にとって決別した過去であったり、ただの懐かしい記憶に過ぎないのなら、ボクが彼女に感じたものは誤った幻想でしかないが、彼女からのメッセージはそうではないことを物語っていた。そう感じさせた。
 彼女の抱えている具体的な事情をボクは知る由もない。だが、彼女もまた混濁した現実世界の中にいて、人に語り尽くせぬ何かから逃れようとしているのだろう。だからこそ、現実世界をおろそかにしてまでネットの世界に頼ろうとするのだ。だからもし、この世界ですら彼女の求める世界が約束されないのなら、彼女はどこにその拠り所を求めればいいのだろう? その意味で彼女は不幸だ。そう思ったボクはとても素直にこう問いかけた。

「ボクとメッセージ交換するだけっていうのは可能ですか?」

 そしてその答えは、意外にも、いや、思った通り、はい、だったのだ。


 それからはあっという間だった。彼女がボクをムーちゃんと呼び、ボクが彼女を琴乃と呼び捨てにし始めてからというもの、ボクたちは互いを自分を受け止めてくれる、存在を赦してくれる唯一の人と思うようになった。朝、目覚めて深夜眠りに落ちるまで、可処分時間のすべてを相手に捧げる生活が始まるまで、ほんの数日しか必要なかった。

 でも、なぜだろう。今思っても不思議だ。なぜ、琴乃は何の警戒感も疑いも持たなかったのだろう? ボクもなぜこれほどまで熱心に、彼女に語り続けられたのだろう? プライベートな事は何ひとつ聞くことがなかったのに、むしろ、その気も起こらないほどだったのに、ボクには彼女が昔からよく知ってる人、いや、単に知っているだけでなく、深く深く愛し合ってる人にしか思えなくなった。

 だからボクは、キミはアンドロギュノスの片割れだとか、写し鏡だ、と呟いた。特に、目覚めてスマホに手を伸ばした瞬間にキミからのメッセージが届くなんて偶然が何度も重なると、ボクはキミとはこの世に生まれ落ちる前からのえにしで結ばれていたと、強く感じないわけにはいかなかった。

「ボクたちは現実世界では分かたれたままだが、いつか神の配剤によって本来の一対に戻される」

 そう思った。何度もそう書いて送った。今この瞬間、ボクに彼女を愛せる客観的資格がないのを自覚していながら、精神世界ならより深く繋がって何の問題があるものか、そんなふうに思った。


…………


 また、琴乃のことを考えながら歩いている。かつて、妻と手を繋いで歩いた哲学堂への道を、今は彼女への思いを抱きながら歩いている。ふたりのどちらもボクのものにはならない、できるはずがないと知っていても、今は自然に琴乃がボクの心を捉えて離さない。

 ボクは不幸なんだろうか。それとも幸福なんだろうか。そんなことすら、もうわからなくなってしまったよ。




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