出会い

 マーちゃんとの出会いは五年前に遡る。
 彼女はボクが最初に配属された、海沿いのコンビナートの工場にいた。年齢は同じだが、入社年次では二年先輩だった。

 その頃会社では、入社五年に満たない若手社員は週に数回、会議室で英会話を学んでいた。会社主催の正式なものではなく、誰が手配するのか、講師役はどう見てもバックパッカーとしか見えない外国人たち。英会話教室というより、日常的に外国人と違和感なく接するための機会という位置づけだったのかもしれない。
 新入社員のボクは当然参加。入社三年目の彼女も参加していたが、講師役はバックパッカーだけに年がら年中入れ替わっており、その都度送別会を開く。つまり、ほぼ毎月定例の飲み会が開かれていたのと同じ。彼女はその場にも必ず参加する少数派の女性だった。

 彼女は細身の身体と軽やかな黒髪がとても印象的で、講師だろうが社員だろうが誰かれかまわず仲良くなるという感じの子だった。最初の印象としては、ボクなど想像もできない遊びをしまくってる遊び人。気後れしたボクは、意識的に彼女を遠ざけていた。

 ある時、仲良くなったバックパッカーのひとりがその地を離れることになり、誰かが新幹線の駅まで見送りに行こうと言い出した。その講師とは、当時付き合っていたガールフレンドが休暇を利用してボクに会いに来た時、三人で海や野外コンサートに出掛けた事があって、他の講師たちより親密にしていたから、じゃあ、ボクが車で駅まで送りますよと申し出た。

「私も途中で拾ってよ」
 その話を聞いていた彼女が自然に割り込んできた。何にでも顔を挟む振る舞いが嫌いという者もいたが、彼女に気後れしていたボクには気さくでフレンドリーな一面に感じられた。
「いいですよ、どこまで迎えに行けばいいですか?」
「本町の交差点ってわかる? そこの家具屋さんの駐車場でいいよ」
「わかりますわかります。あの辺ですか。何時にします?」
「そっちが決めてくれれば出て待ってるよ」
「じゃあ…… 六時半。早いですか?」
「いいよ」
 ひどくあっさりした印象だった。事実、彼女はとてもドライで気ままで奔放だった。第一印象から少し見直して、飾らないスレンダーな美人、に格上げ。同じ年ながらちょっとカッコいい大人の雰囲気をボクは感じ始めていた。

 翌朝、待ち合わせの場所に行くと、彼女はもう駐車場の入り口にいた。手を後ろに組み、足元の石ころを蹴っている。その仕草が、送別会で見かけた彼女より随分幼く見せて可愛い感じがする。

「待ちました?」
「う~んと…… そうでもないけど。三十分待った」
「ハハ…… ウソでしょ?」

 彼女は真っ直ぐボクを見つめる。淡く透き通ったブラウンの瞳で、ドキッとするほど綺麗だった。

「…… マジ?」
「ウソ、アハハ、キミ、すぐ騙されるタイプ? タンジュ~ン」

やっぱり彼女は男の扱いに慣れてる…… 折角格上げした印象を、また下方修正する必要があるかも。そう思った。


 バックパッカーたちの宿所は古いがとても広い民家で、玄関を入ると乱雑に脱ぎ棄てられた靴の数から、一体何人住んでんだ? って感じだった。
 だが、七時前に着いたもののそこの連中の誰一人として見送りに起きてこない。挙句に、前夜見送りに行くぞと発案した者、賛同したもの、他の連中も誰一人時間までに現われず、結局見送りはボクと彼女のふたりきりになった。
「意外と薄情だな…… みんな」
 ボクが率直に思ったことを口にすると、
「キミも来ないかと思ってたよ」
 彼女は助手席でそう笑った。


 新幹線のホームで外国人と初めてハグをして別れた。最後に彼が何かを囁いたが、残念ながらその意味まではよく理解できなかったものの、ガールフレンドの下の名前「…… アサミ」だけはわかったから、彼女との事に関する何かだろうと想像はできた。
 そう言えば三人で海に出かけたとき、彼がボクに彼女は恋人かと聞くから、ボクは単純にイエスと答えたものの、彼女が恥ずかしがって違いますよ違いますよと手を横に振ったものだから、外国人の彼にはボクたちふたりの不一致が不可思議な印象として残っていたのかもしれない。


 見送りを終え、そんな事を思いながら車に戻る。
 時間はまだ早朝八時過ぎ。ここから車で一時間。九時過ぎには帰って眠れるなと思っていたら、助手席の彼女がこう言い出した。

「さて、どこ行きますか?」
 あまりに自然で違和感なし。
「ん? どこかって? どこ…… ですか?」
「まだ早いよ」

 例の綺麗な瞳でじっと見つめる。

「ええ、早いですね」

 本気で言ってるのか? 同じ年だが先輩、と思っていたあの頃、彼女はカッコいい社会人だった。
 ボクは彼女の本心を測りかねたまま車を走らせる。

(からかってる?…… )

ボクはどう対処していいかわからない。

「そこ、右? 左?」

 国道に出る交差点で彼女が選択を迫る。ちょっとだけ躊躇した後、ボクは決めた。

「…… 右行きま〜す!」

 その時のボクは、ボクたちの住む街の方角を選んではいけない気がした。それは、ボクの見栄だったり、見栄だったり…… 見栄だったりした。




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