偶発的な初デートでボクたちは急速に接近した。
彼女はとてもフランクで自由。心に浮かぶままを口にし、妙な気を遣ったりしない。
自分のことをあっけらかんと話し、ボクのことも躊躇いなく訊いた。
食べたいものを見つけるとボクを引っ張って暖簾を潜り、面白いものを見つけると大きな口を開けて笑う。
それがとても心地良く、初デートの緊張感など微塵も感じさせなかった。ボクもありのままの自分でいられた気がする。
だから次の日、技術棟の出入り口で偶然すれ違ったときも、こんにちはと会釈するだけのボクに向かい、彼女が何事でもないように「次はどこ?」と訊いてきても、それはごく当たり前のことに思われた。
次の予定を確認するだけのさり気なさ。
付き合う?付き合わない?という男女間の駆け引きとは無縁の、一緒にいるでしょ?当然、みたいな雰囲気が漂った。
何事にも拘泥せず、軽やかで自由な感じ。
彼女の醸し出す雰囲気は、都会的で洗練された人のものに思われた。
「今度、お見合いするかも……」
当時遠距離恋愛中だったガールフレンドは、そんな牽制球を毎回のように投げてきた。
彼女は初恋に破れたボクの傍に居続けてくれた女性で、それなりに真面目に将来のことを考えた相手だ。だが、どうにも息苦しい。正直、就職を機に離ればなれになったことを、どこかでホッとしている自分にも気がついた。
マーちゃんの軽やかさはその対極にあった。一緒にいて居心地がいい。最初、彼女には「拘泥」という感情が抜け落ちているのだろうか? そんな印象すらあった。
イエスなら素直に喜び、ノーならまたいつかといって立ち去る、男らしいと褒めたいくらいだった。
だけど、ボクは彼女からの誘いを断る気になどならない。不思議とならない。
「次はどこ?」
「じゃあ、次は山の方にでも?」
「いつ?」
「土曜日九時。どうですか?」
「わかった。」
それだけ。
そしてボクは前回待ち合わせた場所に車で迎えに行く。すると彼女が前回とは違う出で立ちで待っている。
二回目のデート、彼女は大量のCDやらMDやらを後部座席に投げ込んだ。ボクの感覚では貴重品に属するそれらを、まるで無造作かつぞんざいに扱う彼女は、行儀が悪く雑、というより、細かなことには拘泥しない好ましい性格に見えた。
「えっ? これ全部ここに置いとくんですか?」
「うん。イチイチ持ってくるの面倒だから」
「はぁ。それにしても…… 」
「ダメ? 別にいいでしょ? 誰か後ろの席に座る?」
「いや、そんなことも…… 」
「じゃあいいじゃん。いいよ、勝手に聴いても」
「そりゃどうも…… 」
そう言っている間にも、彼女はゴソゴソと数枚のディスクを手に、あれこれチェックを始める。
「どうかしました?」
「ううん。どれがどれかわかんないからさ、アハハ」
よく見ると、大半のディスクケースはただの透明ケースでライナーノーツなど何もない。ポツポツと黒マジックで何やら文字らしきものが見えるが、なーんも書いてないものもある。
しかもどうやらディスクはノージャンル、無国籍。とにかく雑多な音楽が何の分類もなく混じりあっている。探せばクラシック音楽も出てきそうだ。
(これじゃどれがどれかわかんねーし…… )
さすがにこの雑な管理には呆れてしまう。
「…… いつもこんな感じなんですか?」
そう質問するボクの顔は、ヤレヤレという気持ちがわかりやすく描いてあったのかもしれない。
「あなた、意外に無神経ね。別にいいけどさ、アハハハ」
そう言いながらも目の前の彼女は、まるで子供がおもちゃ箱からお気に入りを探すようにあどけなく無邪気で、ボクの歪んだ顔も、面白い顔が見られ楽しい、くらいの鷹揚さがあった。可愛らしくて、同時に人をホッとさせる不思議な魅力に溢れている。
あれこれ探しまわし、彼女がようやくプレイヤーに挿入したのはダンサブルな一枚。今すぐにでも踊り出せそうな曲だった。
「こういうの好きなんですか?」
「別に。その時の雰囲気? というか気分。こういうの嫌い? 他のにする? どれでもいいけど」
ボクに気を使っているというより、本当に拘りがなさそうだ。
「いや。どちらかというと好きですけど」
「じゃあ良かったね。趣味あうじゃん」
彼女は殊更に感情を込めることなく、あっさりと言う。そこがまた良かった。
それからというもの、休日は決まって彼女とのドライブになった。休日だけでなく、平日も会社が終わるとボクは例の家具屋さんの駐車場に直行し、そのまま湖畔の喫茶店や、隣街の風情ある公園に出かけたりした。一時間も走ればちょっとした観光地があちこちにあり、行き先には困らなかった。
都会的な遊びや派手なパティーは一度も経験することがなかったものの、その頃のボクには身の丈に合ったちょうどいい感じの毎日が繰り返された。そのうち、行き先に特定の目的地はなくなり、ひたすら車を走らせるだけになったが、ボクたちは、ただただお喋りをするだけで楽しかった。
ある日のこと。海沿いの公園で、穏やかな凪の海に日が沈むのを眺めていてふと思い出した。
「そういえば、ウインドサーフィンしてませんでした?」
特に目的があって訊いた訳ではない。ふと思い出しただけだ。彼女は社内外に何人もウインドサーフィン仲間がいて、その連中と楽しそうに話しているのを見かけたことがある。それを海を見ながら思い出したのだ。
そういうアクティブな趣味を持てない連中から、彼女がちょっと冷ややかな目で見られていることも思い出した。ついでに言うと、少し前まではボクもそっちに属していて、どうなんだろうね、あんな女性って、などと言ってたことも思い出した……
「うん。でもやめた」
あっさりした答えが返ってくる。
「そうなんですか」
「理由は聞かないの?」
「ええ…… 関心ないし」
「アハハ、キミはホントに他人に関心薄いですよ〜、みたいな話し方するよね。誰に対してもそうなの?」
ちょっとドキッとする。彼女のことは陰からこっそり覗きたいくらいだ。でもそれを悟られたくはない。
「薄くはないですよ。人並みです、きっと。
だってあれこれ聞かれるの嫌でしょ?」
「ううん、全然。むしろ聞いて欲しいくらい」
「へ~、意外だな。そういうの嫌な人かと思ってましたよ」
沈黙……
じっとボクを見てる。あの綺麗な瞳で。
「あのさぁ、どーでもいいけど、いつまで丁寧語?」
「ん? そうですか?」
「うん。私のことが本当は嫌いとか? ハハハ」
「嫌いじゃないですよ。あっ……嫌いじゃないよ、か、ハハハ」
「そうだよね。そういう予感してたもん」
「ん? どうして?」
「避けるから」
……
ドキドキしていた。
彼女はまだ視線を逸らさない。ボクはできるだけ落ち着いたフリをした。
「避けたらみんなそうなの?」
「見てるくせに避けるから」
「…… そうかなぁ?」
「見てるよ、絶対。
本当はエッチなくせにさ、アハハハ」
「…… 」
「困ってる?
そういうのって、好きだよ」
「…… 」
「ねぇ…… 今度遠出しよっか」
「…… 本気にしますよ」
「アハハハ、やっぱエッチだ! アハハハ」
「…… 」
「あなたと遊ぶ方が楽しそうだから、ウインドサーフィンやめたのよ…… バカ」
この頃のボクは彼女にはまるで歯が立たなかった。
ボクは人を好きになる事はあっても、好きになられることに慣れていなかった。頭のどこかで、からかわれてるだけなんじゃないか? と警戒心が働いたのだ。
でも、彼女は終始一貫して自然体だった。それが心地よかったから、ボクはきっと抵抗感なく彼女のことを好きになったんだと思う。
そしてボクは、遠距離恋愛中だったはずのガールフレンドと、いつのまにか別れていた。