アイドル

「あ~~~、今度は安住さん誘ってる~~
 マーちゃんに言ってやろっかな~」

 ベリーショートに刈り上げた彼女は、まるで密会現場を見つけたかのように大声でボクを指さす。ボクの隣では、安住さんが困った顔をして俯いてしまった。
「ハ、ハル! 違うよこれは…… 今、ハルも誘おうと思ってたんだよ。ほんと…… マジで。今度のかっちゃんの会なんだよ……」
「いいのいいの、無理しないで。安住さんみたいな美人には敵いませんから。じゃあね~」
 そういうと彼女は右手をひらひらさせながら、さっさと階段を下りて行ってしまった。
 残されたボクと安住さんは、なんだか急に気づまりになって、話がすっかり途中になってしまった。あ~、これでまた安住さんを誘えない…… 細山田が怒るだろうな……

 春原のぞみ。通称ハル、時にハーちゃん。同じフロアの、おそらくすべての男性社員が、この憎めない小悪魔のような女性社員を可愛がっていた。彼女はまさに社内のアイドル的存在だったのだ。
 その発言はかなり自由奔放。相手によって話し方を変えることもない。おいおいさすがに部長相手にタメ口はやばくね? というほど。見方を変えれば、まるで場末のスナックにでもいる感じの気安さなのだが、媚びた感じがしない彼女の軽口はイヤらしさや下品さがなかった。
 彼女は同じフロアだが所属部署は異なる。当時、所属者全員が課長職以上という、会社の中枢? 頭脳? なのか、それとも掃きだめなのかよくわからない、マーケティング部に所属していた。  口うるさい肩書の重いおっさん連中を相手に、酒席を含めてあしらいがダントツで上手いという彼女の評判はあっという間に全社に轟き、その名前は遠く離れた工場総務のボクのところにも届いていた。マーちゃんも工場で一度、転勤後にも女子会で一緒だったことがあるらしい。年齢もボクやマーちゃんと同じ。マーちゃんとは同期入社ということになる。
 そんな有名人の彼女だが、最初会った頃は見た目はごく普通のOLだった。肩あたりまで髪を伸ばしていた気がするが、ある日突然ベリーショートで出社してきて周囲を驚かせた。小顔の彼女に抜群に似合ったその髪型に変えた頃から、その容姿ともども非常に目立つ存在になり、小悪魔が華麗な悪魔に成長した、などとからかわれたりしていた。

 安住さんを口説き落とせず落胆して席に戻ると、部長の後ろにその華麗な悪魔が立っていて、いたずらっぽく笑いながらこっちを見ている。
「ねぇねぇおとうさん、キンちゃんったらさ、仕事中に安住さん口説いてるんだよ。ホント、いいのかなぁ~、マーちゃんに知らせた方がいい?」
 彼女はボクの上司もおとうさん呼ばわりだ。
 ゴルフとマージャンにしか興味がないと思われている坂上部長は、ニヤニヤしながら悪魔の可愛らしいヒップを触らんばかりに手を伸ばしている。魂を売る気に違いない。
「お前、まだやってんのか。で、かっちゃんにはちゃんと誰かあてがってやれたのか?」
 このおっさんは意外にも部下の動向をちゃんと把握していて、ゴルフとマージャンとスケベなことしか考えていないようで、実は一番仕事もできる。

「ええまあ…… 」
「嘘ばっか! 細山田さんが言ってたよ、一番楽しんでるのはキンちゃんだって」
 悪魔はやたらとボクに絡む。どちらかというと日ごろは無愛想なボクに、就業中絡んでくるのはこの悪魔ぐらいのものだ。
「ハル、お前も誘われたか?」
「誘われないよ、私は。
 タイプじゃないもんね~。安住さんだもんね~、タイプは」
 全く余計な話だ。とても会社内での会話とは思えん…… が、なぜか悪魔だと許してしまう。
「経理のか」
(部長も乗ってくるかね、ここで)
「そうよ。細山田さんとキンちゃんは安住さんがイチ押しなんだって。かわいいもんね~ 安住さんね~」
「お前と細山田の組み合わせじゃロクなもんじゃないな」
(そういう結論かい)
「ホントよね、細山田さんが可愛そう」
「お前、ああいうのが好みか?」
「私だけじゃないわよ。細山田さんのファンって多いよ。カッコいいじゃん」
(知らんな…… あいつの実態を)
「ほー、そういうもんか。こいつはどうだ?」
(関係ねーし…… )
「キンちゃん? キンちゃんはエッチだからさ」
(…… )
「こいつスケベなのか! お前口説かれたか?」
「だから私には言ってこないんだって」
「まぁ、こいつもそこまでバカじゃないわな。ハル誘ったらあの辺の課長さんたち全員を敵に回すもんな、アハハハ」
 そう言いながら、部長はフロアの遥か向こう側にいる連中を皮肉っぽく見やる。営業部とマーケティング部は意外に仲が悪い。意外でもないか……

「そうですよ、誘えません。恐ろしくて」
「だってよ、どうする、ハル。可愛そうだから一回ぐらい相手してやるか? ん?」
「キンちゃんと? 細山田さん? あっ、かっちゃんもか、アハハ」
 悪魔だからすぐにはノーと言わない。
「お前、他は集まってるのか?」
 このおっさん、邪魔してんだか、応援してんだか、ようわからん……
「ええ、まあ、うちの三人娘はちゃんと来てくれますよ、毎回」
 三人娘とは、今年入ったばかりの営業部の女性社員たちのこと。揃って二十歳そこそこだし、同じ部署なので全員一緒、全部おごり、というのを条件に多少強引に付き合わせているのだが、今のところセクハラで問題にはなっていない。
「ハハハ、お前もホント身近なところでしか調達できん男だな。  精工の女子でも誘って来いや。営業だろが、そのくらいやってこい」
 精工とは、その当時取引高で我が社最大の得意先で、入社二年目からボクはそこを担当させられている。ほぼ日参状態なので、部長には、がっちり入り込んでるだろうな、くらいの含意があるのかもしれない。しかし、精工の名が出るたびに過剰に反応する、遥か向こう側の課長さんもいるから、やや面倒くさい。
「無茶苦茶言いますね。それこそ取引先を敵に回しますよ」
「おー、いいね。お前が精工を敵に回したら、俺が骨を拾ってやるよ」
「…… ボクは討ち死にするんですね、アハ…… 」
「ハハハ、仕方ない奴だなあ、お前も。
 ハル、一回付き合ってやれ。かっちゃんもお前が来ると喜ぶだろ」
 なんだかんだでこの部長には世話になりっぱなしだ。いろんな意味で。
「仕方ないなぁ、おとうさんが言うなら……
 キンちゃん、付き合ってあげるよ」
 どこでどう話ができていたかはわからないが、こうして、なぜか彼女がボクたちの恒例飲み会に参加することになった。細山田が止めたがっていたマンネリの飲み会もどうやら味付けが変わりそうだ。
 ちなみに、キンちゃんというのはボクのことだが、それは座っている姿勢が横柄にふんぞり返っているから、横柄金太郎、略してキンちゃん。悪魔が名づけ親で、その悪魔しか使ってないボクのあだ名だった。




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