結花なんかに話してもわからない!

 東松山駅には十九時前に着いた。結花は駅前ロータリから看板が見える全国チェーンの居酒屋にいた。

「あれ? 焼き鳥じゃないの?」
「うん。ちょっと覗いたけど、さすがにうら若い乙女がひとりじゃ入りにくい」
「ハハハ、結花でもそうなんだね」
「東松山の焼き鳥? 焼きトン? って有名でしょ? だからもっと大々的なお店があると思ってた」
「近くても来ないからなぁ。私もホントは知らないんだよね」
「そんなもんだよ。意外にみんな半径数百メートルで暮らしてるんだって」
 結花がやけに落ち着いたことを言う。

「落ち込んでるかと思ったけど、見た感じ落ち着いてるから安心した」
「それはどうも。最近さ、長続きしないんだよ、感情が。アハ」

 居酒屋で出された、ただの焼き鳥をパクつきながら、結花は淡々と語り始めた。

「昨日佳矢と話してて、私は本当のところヤツを好きだったのかなと思った」
「うん」
「だってさ、生意気盛りが女ナンパしたら、それが三十過ぎの女でさ、ちょっとやっただけで、愛だの恋だのって言われ始めたら、やっぱ引くよね。逆なら引くよ。あいつが三十四で私が二十三だとしても引くよ…… なわけないか、引かないか、アハ……」
 笑うのを途中で止めて、今度は生ビールをグイっと呷った。

「愛とか恋とかってあるのかね」
 恋多き女がよく言うよと思ったが、今の彼女には深刻な話なのだろう。

「佳矢は相手の男に何を求めてる? カラダ? ココロ?」

 そういう区分けなのだろうか。

「わからない…… 心なんだろうけどさ」
「おや? その言い回し、ちょっと気になるねぇ。無条件でココロって言うと思ってた。なんかあった?」
 無意識半分、話を聞いて欲しいという気持ち半分だったのだろう。確かに突っ込みたくなる言い方だったかもしれない。心だとしても、ひとりを一途に求めるんじゃなきゃ心を求めてるとは言えない気もしたのだ。

「実はさ…… 怒らないで聞いてくれる?」
「なんで私が怒るのさ」
「じゃあちゃんと言うから、絶対に怒らないでよ」
「しつけーな」
「ごめん。実はさ…… 会社で告白されそうな気がする」
「えーーーーーっ! マジで!」
 声が大きい! いくらざわついた駅前の居酒屋とはいえ、女性のふたり客はそれなりに目立つ。

「まだ予感だけどさ。そんな気がする」
「あんた、調子乗ってんじゃないよ」
「だから怒らないでって言ったじゃん」
「昔っからそうなんだよな。私が失恋した横でさ、あんた誰かにコクられたとか、コクられそうとか、そんな話ばっかしてたよね。あんた、ホント嫌味な女だからね。言っとくよ、あんた、周りの女からは嫌われてるからね、気をつけな」
「…… そうなんだね、やっぱり」
 わかっててもそう確認されると辛い。なんとなく自覚はしている。私はいわゆるぶりっ子なんだろう。

「ホント、世の中の男はどうかしちゃってるよ。こんなぶりっ子に何人も男が寄ってきてさ、私みたいなナイスボディーはやり逃げだよ。あ~、不公平だ! なんだか腹立ってきた!」
 そういうと、彼女はジョッキに半分残っていた生ビールを一気に飲み干すと、おかわり! と大きな声を出した。

「まあいいや、これからしばらくお世話になる部屋のオーナー様だし、我慢しとこう」
「いいよ、好きなだけ泊まって」
「アハハ、嘘だよ。帰るよ」
「なんで? 私の話で気を悪くした?」
「そんなのはもう慣れっこだから。
 さっきも言ったでしょ。アイツのことは、相手が引く気持ちもわかったって。ただ、ウィークリーマンションの契約をひと月しちゃったからさ、もったいないし、しばらくひとりで暮らしてみる。そのあとは中板橋に帰るよ」
「なーんだ、残念」
「うそつけ!」
「アハハ、バレてる」

 なぜか結花とはウマが合う。高校、短大、社会人、色んな人と出会った。その時々に気が合うなぁと思った人も結構な数いる。だけど、結花と同じレベルで気が合う相手はいない。まったく気を遣わずにすむ相手は、ひょっとするとこの世にひとりだけかもしれない。そして大事なことは、相手の結花もなんとなくそう思ってくれている感じがすることだった。

「ねぇねぇ、だからさっきの話、聞いてよ」
「コクられそうな話?」
「うん。実はさ…… 先々週の金曜日にさ、誘っていいですかって言われた」
「どこがコクられだよ! しっかりコクられてんじゃんか!」
「でもさ、その時はほら、あっち行く電車の時間が気になって、何とも返事できなかった」
「この二股女‼」
「ねえ…… ちゃんと聞く?」
「はいはい、聞いてます。くそったれ」
「でもね、色々あって、さっき帰ろうとしたらその彼が追いかけてきて……」
「コクられた?」
「ううん…… 天然なあなたもかわいいって」
「殺すぞ!」
「でもさ、私は付き合ってる人がいるわけだしさ、そんないい人間じゃないし」
「あー、不倫だしな」

 キッと睨んだ。その言葉は嫌いだ。

「やめた。結花なんかに話してもわからない」
「毎回言うけどさ、罪悪感あるならとっととやめなよ、そんな相手」
「罪悪感が全然ない当事者なんていないよ。何かしら思うものだよ。そんなに割り切れないよ」
「だったら仕方ないと思うしかないよ。横で聞いてると偽善者ぶりが鼻につく」
「酷い言い方するね。失恋したら何でも言っていい訳じゃないからね」
「あんたさ、結局誰かに言い寄られたいだけでしょ。それがいい男、社会的に認められた男なら男であるほどいいんでしょ。それを見せびらかしたいだけでしょ。違う?」
「違う‼ 絶対に違う‼ 僻まないでよ!」
「ほら出た、ホンネ。あんたは私をバカにしてる」
「結花、私の何がそんなに気に入らないの?」
「僻んでるだけだよ。十一歳も年下のガキにやり逃げされた三十四歳の女が、毎週末愛人とリゾートマンションでやりまくって、その上さらに一流企業の男にコクられたって話を、まともに聞けないだけだよ!」
 彼女は飲みかけのジョッキをゴツンと乱暴にテーブルに置いた。

 結花は立ち直ってなんかいない。考えれば当たり前だ。彼女は本気で追いかけて破れたのだ。一日二日でその傷が癒える訳などない。
 悲しかった。今の結花の姿が、明日の我が身と重なり、勝手に涙が零れた。

「何であんたが泣くんだよ」
「ゴメン…… 結花、私、本当に……」
「佳矢、悪いことは言わない。普通の幸せを掴みな。あんたには無理だよ」
 不倫…… 結花はその言葉を意識して避けてくれたのだろう。

「だけど…… できない。別れられないし、隠せない……」
「バカだねあんたは。そんな入り口で止まってたの? ホントにかわいいよ、佳矢は」
 それからふたりで泣きながら飲んだ。結局、ふたりは同じなのだ。相手に受け入れられていない三十四歳なのだ。
 結花は繰り返し遼ちゃんとのことは決着をつけろと迫った。私のためにならないと言い切った。私も結花に、二十三歳の不誠実な男のことなど、この際きっぱり忘れてしまえと迫った。いい加減、現実に目を向けろと諭した。
 お互い、相手のことならなんとでも言えると反論して、結論は何も出ないままだった。

 だけどひとつだけはっきりわかったことがある。酔うと思い出すのは遼ちゃんだ。抱き合って眠るシーンが何度か頭を掠めた。
 そう簡単には割り切れない。最後はふたりとも愚痴って終わった。

 深夜、タクシーで家まで帰ると、玄関先までタクシーを乗り付けるなんて非常識だと母に凄い剣幕で叱られた。




総合目次 目  次 前  頁 次  頁