佳矢ちゃん、意外に昭和

 水曜日の夜、明日の飲み会の予定を彼にメールで知らせた。

『あぁ、この前言ってた同盟がどうとかって話ね』
 やっぱり覚えている。彼はどんな話も、興味なさそうに聞いていたとしても、いつもしっかり覚えている。
『すぐに帰るよ。帰ったら直ぐメールするからね』
 彼が部屋に戻る時間より私が遅く帰ることはほぼなかったから、そのつもりでメールした。
『月曜日もそんなこと言ってたような……(笑)』
 そうだった。月曜日、結花と飲んで彼にメールするのを忘れた。そんなこと一度もなかった気がして、私は少し動揺した。
『ごめんなさいっ!』
『アハハ、気にしてないよ。今回もメールはいいからね』
『イヤだ! する‼』
『(笑)では、お待ちしてます』
『うん。明日は絶対する。約束ねっ』
『アハハ。まぁ無理しないで』
『あ~、信用してない!』

 続きがあると思ってしばらく待ったが、そのまま返信は途絶えた。一時間待っても続きは来ない。

(誰かと電話でもしてるのかしら。緊急で重要な、私の入る余地のない電話……?)

 時々こんなことがあるたび、いっそのこと電話して確かめようかといつも思う。
 だけど…… できない。
 嫌われそうでできない。
 待っていればそのうち必ず返信が来る。
 その夜来なくても、翌朝こっちからメールすれば、いつもの優しい言葉が必ず帰ってくる。
 だからしない。
 今はしない。

『ごめんね、今日はちょっとここまでにしよう。
 週末、楽しみだね。じゃあ明日は楽しんで』
 やっと来たと思ったらおやすみのメール…… なぜか胸騒ぎがした。

 具体的に何が、という訳ではない。ただ、彼の中で何か変化が起きている気がした。抑えられない不安が急に募る。

『まだメールしてちゃだめ?』

 返信はなかった。
 私は不安を抱えたまま眠り、また夢をみた。彼と出会って間もない頃のこと……


 ……


 私の右隣に園井さんは座っていた……

『今度さぁ……

 ゴメン、何でもない』

 園井さんは言いかけた言葉を途中で飲み込んだ。打ち上げの席で周囲は騒がしい。

『何ですか?』
『いや、なんでもない。そう言えば、中澤さんって、何が趣味?』
 無理に話題を変えられた気がした。彼はずっと私と目を合わせずに話す。
『絶対に笑いません?』
『言う前から笑うなと言われると笑うかも、アハハ……』
『園井さんだから言っちゃおうかなぁ』
 私は酔っている。でも、その時はもう園井さんが好きだった…… 

『言えよ』

 ドキッとした。彼が他の女性とこんなふうな言葉で会話してるかと思うと、急にドキドキしてきた。

『え~、笑わないでくださいね』
『佳矢ちゃんはかわいいねぇ』
 見つめられた気がして、一瞬で舞い上がった。かわいいね、なんて言われる自分じゃないのに……
 あの頃、まだ二十代だったあの頃、私はすっかり自信をなくしていた。ぼろ雑巾のように捨てられた初恋の傷は癒えてなかったし、仕事も結局派遣社員でしかないから……  

『…… 追っかけです。藤原竜也って知ってます?』
『そっか。舞台好きなんだ』
『舞台というか、彼が好きなんです』
『アハハ、正直だね。そういう子は好きだな』
 好き…… だけど彼の目はまたどこか宙を見ている。口説かれては…… いない。

『ボクね、オペラが好きなんだよ。劇場通いする人の気持ちはわかるな』
 誰と行くの? そう訊こうとしたが声にならない。私はこれまでに通ったことのある劇場を思い出し、必死になって話題を続けようとしていた。

『私、帝国劇場が好きです!』
『そう。ボクは帝国劇場には行ったことないんだ。オペラはもっぱら新国立劇場だから。初台にあるでしょ? オペラシティって。あの隣』

 見つけた! そこは知っている。

『そうなんですか⁉ レコード大賞やってるところですよねっ!』
『そうらしいね。中劇場だよね確か。オペラは大抵は大劇場だからホールは違うんだけど、中劇場でも観たことあるよ』
『私、レコード大賞と紅白歌合戦が大好きなんです。年末ーって感じがしません?! だから毎年母とふたりで行きたいね、ってハガキ出したりしてるんです! 当たったことないですけど、アハハハ』
『佳矢ちゃん、意外に昭和、アハハハハ』
 彼が初めて楽しそうに笑った。彼に佳矢ちゃんと言われて、何の違和感もなかった。園井さんに近づけた! そんな嬉しさが胸に広がった。

『もしもしそこの人、なんで下の名前で呼んでるんですか?』
 かなり酔った駒井クンが割って入ってきた…… 邪魔なんですけど……

『駒井、邪魔! ほら、あっちで高島さんがお前を待ってる』
 そうだそうだ!

『ちょっと園井さん、あなた中澤さんを独占しすぎ』
 高島さんが席を移ってくる。邪魔なんですけど……

『だってかわいいだろ? 佳矢ちゃん』
『出た。中澤さん、この人の馴れ馴れしさに騙されちゃだめよ。この人誰にでもそうなんだから』
 別にいいのに……

『優菜ちゃんに叱られちゃったよ』
 優菜ちゃん…… 冗談でも他の人を下の名前で呼ばないで。

『園井さん、酔ってます?』
 遼平さん、酔ってます? そう言いたいのを堪えた。

『そうだな。どうだろ。酔ったかもな。仕方ない、あっちで酔い覚ましに駒井と仕事の話でもしてくるか』
 そう言って、彼は私の傍から席を移ろうとした。

『行かないで!』

 …… そう思った瞬間に目が醒めた。

 まだ五時前、この前とまったく同じだ。あの時は目覚めてすぐにメールした。すると彼から折り返しの電話があった。でも…… 今日はなぜか折り返しの電話があるように思えない。
 だけど、このままじっともしていられない。
 私は言葉を選びながら、彼への気持ちをメールに託そうとした。

『遼ちゃん、おはよう。
 昨日はゴメンなさい。遼ちゃんとメールしていたかったけど、』
 ここまで書いて、その次の言葉が見つけられない。
 何かあったんですか? と書けない。それは、私が訊いてもいい事に思えなかったからで、何度も書いては消した。

 大好きなのに、遼ちゃんが大好きなのに、知ってはいけないことがあるの? 訊いてはいけないことがあるの?
 それは私が思ってるだけで、遼ちゃんは全然気にもしてないことなの? 私が訊いてもイヤにならないの?
 …… もう三年も付き合ってるのに、私はあの人のことを本当にわかってない。そんな私は、あの人にとっては大切なことを打ち明けられない相手なの?

 ……

『遼ちゃん、おはよう。
 遼ちゃんの夢を見たよぉ~
 今夜帰ったらメールするね。
 じゃあね。行ってらっしゃい』

 ……

 送信すると、涙が止まらなくなった……




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