毎週金曜日の習い事って何?

 タリーズ同盟の決起大会は片平クンの乾杯の音頭で始まった。
 席は左手の奥から京極さん、私、宮下さんの順。向かい側は奥から峰岸さん、山際さん、そして入り口近くに片平クンが座った。

「アルコールは何でも飲み放題ですから、好きなの頼んじゃって下さいね!」
 幹事役は当然片平クン。いつもテンションはやや高めの彼だが、今日はもう一段ギアが入ってる感じだった。

「今朝は三人だけだったよ。この同盟の結束力はどうなんだろ、って思ったけど、夜はちゃんと集まるんだね」
 峰岸さんが隣の山際さんをからかう。
「スイマセン、寝坊しました」
「アハハハ、義務じゃないから、気にしない」
 峰岸さんはいい人だけど、ちょっと意地悪だ。

「京極さんはライフに直行ですか?」
 山際さんが何気なく京極さんに話題を振る。先日の笠島さんの発言があったから、他のみんなは一瞬固まりかけたが、彼女は気にする素振りもない。

「ああ。呼び出し。いつもの事だよ」
 応える京極さんも素っ気ない。ふたりの会話を聞いているこっちの方がハラハラする。

「お疲れさまでした。朝早くから」
 労いのつもりでグラスを傾けた。
「別に仕事だから」
 京極さんは何事でもないかのように笑ってビールジョッキを合わせてくれた。グラスがカツンと高い音を出した。

「ところで、毎週金曜日の習い事って何?」
 目の前の料理が四分の一ほどになる頃、京極さんが何気なく私に問いかける。

「料理教室とか?」
「…… ええまぁ」
 私は咄嗟に上手い嘘が思いつかずあやふやな回答をしてしまう。

「料理かぁ。いい趣味だね」
「趣味というか…… あまりに何もできないので」
 事実だからここは澱みなく言える。

「バカねえ、花嫁修業に決まってるでしょ!」
 峰岸さんが当然だよねと言わんばかりに口を挟む。

「やっぱり通った方がいいんですか?」
 やや天然の山際さんが自分の関心に合わせて質問する。

「私は…… できないので仕方なく」
 早く話題を変えて欲しい時ほどその話題が続くものだ。周囲は私の困った顔に気付くことなく料理教室の話を続けた。

「男性としてはどうなんですか?」
 宮下さんが話を深堀りする。

「うーん、別にどっちでも」
 京極さんは関心なさそうに答える。

「スーパーに行けば惣菜とか色々あるし。お前どうしてる?」
 京極さんが片平クンに話を振る。

「そうッスね。不自由はないッスね。結婚しても二人の間はそっちがムダないッスよ」
 遼ちゃんと同じことを言う片平クン。彼も若い頃はこんな感じだったのだろうか?

「手料理ってどうなの? 最近の男子にとって」
 峰岸さんは若者の生態を知りたがる。

「正直、面倒ッスよ。なんか、ありがた迷惑というか」
 片平クンの正直な感想を押し止めて、京極さんはフォローに回る。

「お前はバカだろ! 料理習ってる中澤さんの前で」
「ホントだよ、アハハハ、そこが片平らしいけど」
 峰岸さんは口ほどには片平クンを責めてない。彼には甘い。

「すっ、すいません! ホントはムチャうれしいッス」
 彼がピエロ役になってまたみんなを笑わせた。彼のような存在は組織に必要不可欠だ。

「もう、ホント…… 料理の話はやめましょ、ねっ」
 ようやく金曜日の習い事はウヤムヤになった。

 参加者が六人程度というのはちょうどいい。ひとつの話題にみんな加われる。そもそもこの集まりは性格的に近い人ばかりなので、なおさら気が楽だ。でも、職場の集まりだから、どうしても仕事の話に偏りがちで、そうなると職制の違いで知っていても話せないことも出てくる。やがて私はスタッフの宮下さんと、京極さんは目の前の峰岸さんと、若いふたりはふたりでそれぞれ別の話を始めていた。

 宮下さんはこの会社のOGだ。結婚退職後、子育てが一段落して派遣社員登録したようだ。ただ、彼女が正社員だった頃とはだいぶ会社の仕組みも変わったらしいし、彼女はもともと本店の支援部にいたようだから、営業部店の具体的な仕事はよくわからないようだった。年齢はきっと峰岸さんに近いと思うが、とても優しくて、出しゃばったところがない、いい人だった。
 しばらくは彼女の子育ての話なんかをぼんやり聞いていたが独身の私にはまだ実感が伴わない。つい上の空だったのだろう。彼女は話題を変えて、さっきのサイン会の話をし始めた。

「中澤さんって読書も趣味なんですね」
「えっ? あー、あれはミーハー的なノリです」
「そうなんですか? あの様子じゃ、単なるファンというより、心酔って感じでしたよ」
 心酔…… この言葉が他のメンバーの耳にも届いたようだ。

「えっ? 中澤さん、誰に心酔してるんですか⁉」
 片平…… 段々ウザイ

「作家さんですよ。ほら、作品がよく映画化される人」
 作家の名前を出せば知らない人を探す方が大変そうだった。

「へぇ~ サイン会やってたんだ。そりゃラッキーでしたね。ふたりとも貰ったんでしょ?」
「ええもちろん!」
 宮下さんが誇らしげに貰ったばかりのサイン入りの新作をみんなに見せ始める。
 そこには、『宮下 喜美子さんへ』と宛名があった…… 当然だ。

「中澤さんったらかわいいんですよ、その先生の大ファンみたいで、自分の名前さえ言い出せないんですから」
「うわっ~、中澤さんってやっぱりチャーミング!」
 山際さんが妙な声で褒める。ぶりっ子め……

「うん、わかる気がする。ボクもそういう中澤さんは想像できるよ」
 京極さんも優しく同意する。

「で、どうしたんですか? ちゃんとお名前は伝えられたんですか?」
 片平…… 死ね。

「それがね、中澤さんがモジモジしてると、その作家さんが、スラスラって書き始めたんです、サイン」
「宛名なしで? それはちょっと失礼ね」
 峰岸さんが少しおカンムリだ。

「違うんですよそれが! その先生ね…… 」
 タメないで! ここでタメちゃダメ‼

「あなたへ、って書いたんですよぉ~~~~~、もう、私もドキドキしちゃいました!」
 うぉ〜、と大歓声。これに気を良くして、宮下さんはさらに続ける。

「しかも、手渡すときに、『お幸せに』ですって! 中澤さん、特別待遇‼」
「うぉ~~~~、すげぇ~~~~、やっぱ作家ってスゲーや」
 完全に勘違したバカ片平が大騒ぎしている…… お前、やっぱ死んどけ

「本当ですね…… 私も今聞いてて、鳥肌立っちゃいました」
 純情ぶりっ子の言いそうなことだ。

「良かったね。中澤さん、気持ちが伝わったんだね」
 京極さんは…… 本当にいいひと。私にはいい人過ぎる。

 ただひとり、峰岸さんだけが私の顔をじっと見つめている。ちょっと怖い顔で。

「そのサイン、きっと忘れられないね……」

 彼女がどういうつもりでそう語ったのかはわからない。だが、確かに私には決して忘れられないものになったのは間違いない。




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