他人事だと思って

 会は二十二時でお開きになった。家が遠いからと言い訳するまでもなく、みんな今日はここでおしまいという感じで駅に向かい始めた。カラオケにでも行きたそうな片平クンだけが、まだいいじゃないですか、と誰彼かまわず誘っている。

「遅くまでゴメンね」
 京極さんと肩を並べて歩いた。

「楽しかったですね。支社の全員だと私はちょっと気後れするんです。でもこのメンバーだけだとリラックスできて、会話にも入りやすいです」
「人数が増えるとどうしてもね。じゃあ、このメンバーでこれからも時々集まりますか?」
 社交辞令に過ぎない気がした。どことなく熱を感じない、あっさりした口調に思えた。きっと彼は優しい人なんだろうけど、書庫で誘ってくれたのは気まぐれ? と思ってしまうほど、感情のこもっていない平板な言い方に聞こえた。

(遼ちゃんもこんな感じだったかな?)
 彼のことを無意識に思い出していた。

「そうですね。集まれるといいですね」
 社交辞令で返答してしまっていた。


 六人のうち、東上線を使うのは私ひとりだけ。駅で次々発を待った。車中から彼にメールしようと思うがいい文面が浮かばない。何度も携帯を開いたり閉じたりしていると、逆に彼からメールが届いた。

『楽しんでる?』
 意外で驚いた。そもそも、彼から先にメールしてくれることが珍しいのに、飲み会に触れる文面が届くなんて、少しはヤキモチ焼いてくれている気がして嬉しい。

『いま東上線だよ。やっぱり遠いよぉ、クスン』
 速攻で返信した。

『じゃあ、うちに来る?(笑)』
 すぐに返信が来た。冗談にでも彼がこんな誘い文句を言ってくれるなんて…… この感触、忘れてた。

『え〜〜〜、朝そう言ってくれたら準備してきたのに〜〜! ムスっ!』
 秒速で返信する。
『(笑)冗談。眠気覚まし。寝過ごすと面倒だろ?』
(やっぱり…… 冗談)
『寝過ごしたことなんかありません!』
『そっか(笑) じゃあ気をつけて』
(えっ……? 終わり? 嘘でしょ)
 気持ちを立て直すのに少し時間がかかった。

『メールありがとう。そうだ! 遼ちゃんにプレゼントあるんだ』
『そうか……』
『週末に渡すね♡』
 また秒速に戻った!

『ありがとう…… ところで明日なんだけどさ』
 そこで一旦途切れた。

 昨夜のメールで受けた悪い予感が現実になって今、届けられようとしている。

 思わず携帯の電源を切ってしまった。とても電車の中で読む気にならなかったし、電源を入れたままだと気になって何度も見てしまうと思ったのだ。
 だけど、やっぱり気になって、二駅過ぎたところで電源を入れ直した。冷静に考えると、まだ悪い知らせかどうか定かではない。もし、明日はドライブしよう、なんて誘いなら、返信しないことは拒否したことになる。そう思い直すと、いいお知らせに思えてきた。

 果たして…… メールは二通届いていた。どちらも彼からだ。

『明日はゴメン。急な用件で行けそうにない。出来る限りメールはしたいけど、いいかな?』
 やっぱり悪い知らせ…… 
 明日と明後日とその次の日曜日…… 彼なしで過ごす時間を思った。
(私はどうすればいいの? ねぇ、遼ちゃん……)
 晴れぬ気持ちのまま二通目のメールを開く。

『佳矢、きっと怒ってるよね。毎週必ず、って約束してたから。そのつもりでいただろうし、本当にゴメン。詳しいことはいずれ話すけど、今はゴメン。できるだけメールはする。佳矢への気持ちは何も変わっていないから』
 このメールを、私に冷静に読めというのだろうか……

(遼ちゃん、無神経過ぎるよ)

 ひとりじゃいられない。週末の三日間、これまでずっと彼が一緒だった。それを急に都合が付かないと言われても、彼と過ごす以外に考えたことのない週末を、本当にどう過ごせばいいかわからない。
 明日、会社が終わってすぐに飛び出さないとすると、その後の時間はどうすればいいの? いつまで会社にいたらいいの? お稽古は? と訊かれてどう応えればいいの?……

 そんなことを考えている間に、電車は最寄り駅に着いた。乗り換えたバスを降り、家までの坂道を上る間もずっと返信する言葉を選ぼうとしたが、どの言葉も私の気持ちを正しく伝えてくれそうになかった。

 部屋に戻ってベッドに凭れ、彼からのメールをずっと眺めている。

『急な用件…… 何も変わっていないよ…… 』

(嘘つき!)

 何かが変わっている。昨日のメールからおかしかった。
(なんだろう……)
 少し冷静になると、いろんな想像が次から次に思い浮かぶ。

『…… ひと言で言うと…… 何も欲しがらない人』
『…… 化粧っ気のない人…… でも美人だよね』

 彼が一緒に暮らすその人のことを私は知らない。知りたくもないのに、次々とその姿が浮かんでくる。

(化粧しないで人前に出るなんて…… 嫌味な人!)
 どんな人なんだろう…… きっと髪の毛のサラサラした人なんでしょうね。固くてクセっ毛の私とは違って…… 何でも手に入って、遼ちゃんも思いのままにして…… 卑怯な女!
(あ~~~、イヤだ…… めんどくさくなってきた…… イヤだもう…… )
 大声で泣きたい。泣いて泣いて、喚き散らして、明日にはケロっとしていたい。
 …… だけどできないのが悔しい!

(遼ちゃん…… 電話してよ…… )

 だけど、彼からは電話はおろか、メールさえ届く気配がない。鳴らない携帯は恨めしい……

(結花…… どうしてるだろう )
 電話帳から結花を探す。電話してみよう、そう思ったところにメールが届く。
(遼ちゃん⁉…… )

『今日はお疲れさまでした。中澤さんと話ができて良かった。これからも来てくれるよね。では、おやすみなさい。また明日』
 京極さんからだった。意外だった。別れ際、思った以上にあっさり別れたので、今になって彼からメールが届くとは思わなかった。
 でも、今は遼ちゃんのことで頭がいっぱい。それどころではない。

(結花にでも愚痴るしかないか…… )

 つくづく付き合いの狭い人間だと思った。三十四歳にもなって、いざ困った時に、声をかける相手も限られていることが悲しかった。
 普通はどうしているんだろう? 私と同じ年だと、大半は結婚して、なんだかんだ不平不満がありながら、目の前の一生を伴にする相手と、あーでもない、こーでもないと言いながら、テレビでも見てるんだろうか? 幸せってそういうことなんだろうか?

(結花に電話しよう…… )
 ほぼ無意識のまま、私は彼女に電話をかけていた。
 数回の呼び出し音のあと、眠そうな声の結花が反応した。

「おいコラ! 随分遅い時間の報告だな。どうだったんだ? 例のコクってきた相手は?」
 そうだった。そんな話をしたばかりだった。彼女はきっとそのことの印象が残っているのだろう。

「フラれそう…… 結花、私それどこじゃないんだよ。彼に…… フラれそう」
「彼って誰だよ」
 やや不機嫌な声で彼女が確かめる。

「遼平さんだよ! 決まってるでしょ‼」
 結花からは何の反応もない。

「ねぇ…… 聞いてる?」
「聞いてない。諦めな。悪いけど、鴨川ヤロウはダメだよ、佳矢もここまでにしときな」
「…… 他人事だと思って」
「あぁ他人事だね。夜中の一時に他人の不倫がどうなろうと知ったこっちゃない」
「…… わかったよ。切るよ」
「佳矢、飲み会の後にコクって来た相手から電話とかメールあったら、ちゃんと返事しなきゃダメだよ。なきゃ明日でもいいから、佳矢からちゃんとお礼しなよ!」
「…… メールはあったよ。素っ気ないのが」
「返事した?」
「するわけないよ! それどころじゃないって言ってるでしょ!」
「…… 馬鹿に付ける薬はないよ。寝る、おやすみ」
 結花はそう言ったきり電話を切った。

(なんなの! 友達のくせに‼)
 枕に顔を埋めて泣いた。 

(遼ちゃん…… 遼ちゃん…… ちゃんと説明してよ…… ちゃんと……)




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