なまじ優しいからこっちが苦しむ

 東松山は焼きトンだ。一度も食べたことはないが、東松山の地名を出せば、みんなで押したように焼き鳥ですね、とか、焼きトンですねと言うので、前から一度食べてみたいとは思っていた。
 結花が父親から仕入れた情報で、駅から少し歩いた場所に、店構えこそ貸倉庫みたいだが味は間違いないお店があるというので行ってみたが、濛々と凄い煙が立ち込めている。ふたりともすっかり気後れしてしまい、結局、前回と同じ全国チェーンの居酒屋に入ることにした。

「ありゃ相当覚悟しないと入れないね。そんな恰好で行くとこじゃないよ」
 結花が私の恰好を見ながら笑う。確かに場違いな感じだった。
「食べてみたい気はするんだけどね」
「じゃあ、今度コーヒーヤロウとでもおいでよ」
 結花の軽口には反応するのをやめよう。
「私のことはもういい。どうせ結花に言いたい放題いわれるだけだから」
「アハハ、とうとう諦めたか。悪いことは言わないから、コーヒーにしときな」
 彼はヤロウでもなくなって、ただの飲み物になったようだ。
「もういい! そんなことより、結花はどうなの? その後結城くんは?」
「音沙汰なし。こっちから連絡しないと向こうからは余程飢えてないと連絡ないね。まぁ、若造だからよく飢えるんだけどさ、アハ」
 立ち直っているのだろうか?

「それよりさ、このメールみてみ? どうよ」
 そう言って彼女は一通のメールを差し出した。「お世話になります」で始まるそのメールは、一見、ビジネス文章っぽかった。
「仕事の打ち合わせ?」
「そう。印刷会社の営業。普通は仕事でも絡まないんだけどさ。急ぎの時とかにたま~に会うくらいの人間」
「ふ~ん、それで?」
「っち、鈍感女! 文章は最後までちゃんと読みな!」
「…… 『本庄は高校生の頃に通っただけですが、記憶にある町なので、迷わず行けると思います』…… だから何? 行けますよってことでしょ?」
「鈍いにもほどがある。あのね、独身の女のところに、迷わず行けるってことを書いてくる意味はなんだと思う? 若い男が? ん?」
「…… でも仕事でしょ?」
「呆れて話になんないわ。
 これはサインなんだよ! 会いたいです、会いに行きます、そこだと都合がいいです! ってサインだよ、男からの!」
 私は目を皿のようにして前後の文章を読んでみたが、どこにも愛の告白などない。ただ、急ぎで修正を入れたいが、会って説明しないと、らちが明かないのて、というような文面にしか見えなかった。
「そうなんだ……」
 それ以上、なんと言っていいかわからなかった。
「あんた! 男と何人付き合った? 外資系の支社長様と? それから? 鴨川ヤロウ? それから? あったっけ? なんだか中途半端にデートしたとかって話は聞いたことがあるけど、ないよね、マジなヤツは。そのふたりだけだよね? そのあんたが、百戦錬磨の私のカンをバカにするっての? ふん!」
 妙なところに結花は引っかかった。
 確かにその点については反論のしようがない。私は木っ端微塵に捨てられたアイツのほかには、遼ちゃんとしか付き合ったことがない。三十四歳…… 男性経験は未熟なままだ。

「この子ね、大宮なんだよね、実家が。でも、すっきりした顔してんだよ。イケメンまではいかないけど、いい感じに爽やか」
「へぇ…… まさかまた年下?」
「そうだよ、なんか文句ある? 確か二十八か九。ちょうどいいじゃん、ねっ」
「結花…… 地に足ついてる? 」
「ちびのあんたに言われるとは情けない…… ちゃんとついてます! ほら!」
 彼女は行儀悪く足を投げ出すと、どすんとその場に音を立てて足を踏み鳴らした。周囲の男性客がなんだなんだという顔でこっちを見る。
「もう、恥ずかしいからやめて!」
 まったく結花は天然児だ。こういうところが男性に受ける。だから、池袋辺りで一緒に飲むと、若い頃は必ずと言っていいほど声をかけられた。隙だらけ、そんな感じなんだろう。
「明日は日曜日だけど、至急だから打ち合わせできないかって書いてあるでしょ? 日曜日に私ひとりのところに来る、だって! 飛んで火に入るなんとかだよ、アハハハ、食べちゃおっかなぁ~」
「…… 結花、失恋からは立ち直ってるね」
「失恋? 悪いけどまだ失恋したとは思ってないよ。あいつも絶対連絡してくる」
「それで嬉しいの?」

 結花の気持ちはほとんど理解できなかった。相手に恋人がいて、その相手で満足しない時、埋め合わせのように体を求めてくるだけの男からの連絡が、まだ失恋ではない証拠だという結花の感覚がわからない。私にはもう立派な破局としか思えないのに。
「嬉しいとかなんとかじゃないよ。男と女なんてそう簡単に割り切れるもんじゃないってことよ。ある日を境に、これであなたとは終わりますね、はいわかりました、なんてさ、生身の男女には考えられないって。なんとなくお互いに求めあわなくなって、気が付いたら会ってなかった、そういうのがいいんだよ。それが自然だよ」
「そんなに身勝手なものなの? 恋って」
 口に出してハッとする…… 私が言えるセリフじゃない。私こそ、身勝手な恋をしている張本人だ。
「バカだねえ。そんなこと、考える必要なんかないでしょ」
 結花は私の顔色が変わったことを確認して、言葉を緩めた。

「佳矢…… 佳矢はもしかしてコーヒークンに告白されたことに罪悪感を感じてる? 鴨川さんに悪いとか思ってる? それは違うと思うな。もし鴨川さんがそう思ってるなら、立ち位置をはっきりさせるべきだわ、彼は」
「彼の立ち位置ははっきりしてると思う。私が誰か好きになったらなったで仕方ない、構わないっていつも言ってる……」

「卑怯だね…… なまじ優しいからこっちが苦しむ」

 涙が出る…… 自分のことを理解してもらったこと、そんな相手に苦しんでること、それから、遼ちゃんを悪く言われたこと…… それらの気持ちがない交ぜになって涙になる。

「悪い人じゃないんだよ……」
「わかるよ。変な奴だとこんなに続かないよ。もうとっくに見捨ててるよね、佳矢のことだから。でもね…… 佳矢、本当にコーヒークンじゃだめなの?」
 わからない。彼がいることで遼ちゃんとの辛い関係に耐えられている気がする一方で、彼と遼ちゃんと同じ関係になれるかと聞かれると、身体全体が固まってしまう。素直に受け入れられない何かを感じてしまう。

「わからない…… でもさ……
 悪いけどコーヒーヤロウはやめて。京極さん。鴨川ヤロウは遼平さん。ちゃんと名前で言って‼」
「アハハハハ、いつか文句言われると思った。じゃあ京さんと遼さんでいいかな。リョウさんだって、こち亀じゃん、まさかあんな人? アハハハハハハ」

 彼女の大笑いはしばらく止むことがなかった。




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