どっち思い出してたんだよ!

「佳矢と遼さんって、どのくらいになるんだっけ?」
「知り合って?」
「ううん、付き合い始めて」

 この「付き合い始めて」という問いに、どう答えるべきかいつも悩む。告白されてからなのか、関係を持ってからなのか。
 後者だとすると関係を持った日を教えるようで恥ずかしい。だけど、彼に告白なんかされてない。そうなると彼と初めてふたりきりで会った日? それとも関係を持った日? そのどちらかだけど、どっちも同じ日だった。

「三年ちょっとかな」
「そんなもんだっけ? もっと前から付き合ってるかと思ってた」
「支社が一緒だったからでしょ」
「そっかそっか。そうだったね。で、送別会か何かの時にエッチしたんだっけ?」
「そんなことが何か気になるわけ?」
「アハハ、たまたま思い出したんだよ。佳矢がわかりやす~く報告してくるから、すぐわかったよ、あの時は」
「……」
「付き合う前から結構話題に出てたしね。遼さん…… えーーっと、苗字、なんだっけ?」
「園井さん」
「そうそう、園井さん!園井さん! 何かというと園井さんがねぇって話してたよ、佳矢は」

 そうだった。会社の人には話せないし、その頃は彼と関係を持つとは思わなかったので、結花には結構何でも話していた。

「誰だっけ? えーっと、気に入らない女がいてさ、邪魔になるって言ってたよね、アハハハ」
「…… 高島優菜」
「そうそう高島!高島! 派遣に厳しい人! アハハハハ」
「つまんないことよく憶えてるね」
「だってあの頃の佳矢の話って結構面白かったしさ。私に言わせればぜ~んぜん付き合ってもいない相手なのに、さも自分の恋人のように話すんだもん。佳矢ってどこまでネンネなんだろって呆れてた」

 そうだったかもしれない。アイツにフラれて一度小さな会社に転職したあと、そこも辞めて今の派遣会社に登録し、最初の派遣先で出会った彼は私にとって憧れだった。そしてそれ以上の感情を抱くのに、そんなに時間は必要なかった。

「しかしまぁ、よく佳矢がアプローチできたね。私は未だにそのことが信じられないよ」
「酔ってたから……」
「酔った勢いね。送別会、酔った勢い、もうやるしかないって感じだったんでしょ?」
 結花は面白い話題を見つけたとばかり、笑いながら当時のことを追求し始めた。
 正確に言うと、送別会の日にそうなったわけではない。ただ…… 彼の腕を取って歩いただけだ。そして、彼がわざわざ大宮から東上線の我が家まで、タクシーで送り届けてくれただけ。車の中で、絶対にメールしてって何度も頼んだ記憶がうっすらあるだけ……。

「しかし、なんでそういう男とやっちまったかなあ。佳矢のような慎重な子がさ。未だに不思議なんだよね」
 自分でもわからない。ただ、業務の必要に迫られて保存していた彼のメールアドレスは、会社のものもプライベートのものも両方ちゃんと残してあった。

「まぁ、遼さんも若い身体が欲しくなったってことかな? ギャハハハハハ」
 結花は時々信じられないくらい下品だから、このくらいの笑いには慣れてるけど、…… 笑い過ぎ

「佳矢は全然OKだったんでしょ? 彼に誘われて」
 そう。彼からのメールをずっと待っていた。誘われたら絶対に断らないと決めていた。
「なんでかね。不思議だよね、男と女ってさ」
 本当に不思議だ。
 彼のことはあっという間に好きになった。その左腕にしがみついてからは、もう一瞬も彼のことが頭から離れなくなった。毎日毎日メールが来るのを待った。しばらくして彼が仕事で新宿まで来るってわかった時、その日をただひたすら待って、自分でも不思議なほど躊躇なく会いに行った。どんな言葉で誘われたかなんて憶えてない。ただ、ホテルの部屋で夢中でキスしてた……

「ちょっと! なにぼんやりしてんだよ! 話聞いてんの⁉」
「あっ…… ゴメン」
「どっち思い出してたんだよ」
「どっちって?」
「遼さん? 京さん?」
「…… 京極さんはそんなんじゃないって」
「そっか。ダメか」
「…… うん」

 京極さんはいい人だけど、やっぱり遼ちゃんとは違う。
 彼のおかげで昨日は救われた。自暴自棄になりかけた朝、彼の告白は嬉しくて、このまま彼に縋ろうかとも思った。すんなり家に帰ろうと思えたのも、彼がきっとメールしてくれると思ったからだ。
 そして、明らかに何かを隠している遼ちゃんに腹立たしさを覚え、もういいや、私には京極さんがいるんだし、そう思ったのも確かだ。

 だけど…… 
 今朝起きると遼ちゃんのことを考えていた。それからずっと遼ちゃんのことばかり考えている。本当だったら今ごろあのマンションでコーヒー飲んでる時間だとか、お昼はどうする? って訊くと生返事が帰ってくるだけだったとか、そんなことを思い出していた。そのひとつひとつがちっともイヤな記憶じゃなく、自分の傍には彼がいることが自然なんだと思った。

(会いたい、遼ちゃんに会いたい。
 会って抱きしめて欲しい)
 それしか考えられなかった。

 そんな様子を見て、私の気持ちは京極さんには向かっていないと悟ったのか、さすがの結花もそれからは彼のことを話題に出さなくなった。
 しばらく、ふたりともいつもより言葉少なに飲んでいたが、二十時を過ぎたころ、明日の朝は例のスッキリした年下の男の子がやってくると再び結花が言い始めたので、それを機に家に帰った。


 自宅に戻り彼からのメールを待ったが、予想したとおり連絡が来ることはなかった。そして、密かにあてにしていた京極さんからのメールも届かなかった。付き合ってもいないのに、休日の夜まで私にメールする義理も義務もない。彼に期待するなんてお門違いも甚だしいと自分を嗤った。

 翌日の日曜日も、ふたりのどちらからも連絡はなかった。


 丘陵地にある自宅の周辺では、いつの間にか秋の気配が忍び寄り、日没の時間もすっかり早くなった。

 翌週、京極さんから毎日二十二時頃にメールが入るようになった。だが、共通する話題もない。明日はタリーズに来るよね? と確認し終えるとメールも終わる。そんな感じだった。

 遼ちゃんからはなんの音沙汰もない…… 週末どうするんだろう? と不安になるが、私からのメールを今の彼は待っていない気がした。
 木曜日まで連絡がなければ週末は中止と思うことにした。そして、一切期待しないようにと自分自身に言い聞かせた。

 メールなんかなくても平気。連絡なんてなくても平気。私は平気……
 平然としていられるよう、心の振幅をゼロにする努力をした。

 笑えなかった。水曜日の夜、連絡がないと知りつつ携帯をチェックするのはもう限界だった。
 翌朝、タリーズに向かうことを考えるだけで、気分が塞がった。


 木曜日の朝、私は派遣社員になって初めて、体調不良を理由に会社を休んだ。

 …… 遼ちゃんのバカ




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