これもおまけでどうだ!

 帰りの電車の中で、休日のあいだに来ていた京極さんからのメールを確認した。そこには京極さんらしい、いつもの文面が並んでいた。

 土曜日、夜のメール
『こんばんは。今日は昼前まで寝てたよ。あの事件以来、外で飲むのは自粛中だけど、休日前はどうしても飲みたくなって、片平呼び出して部屋で飲んでた。支社長にバレたら自粛期間が延びちゃうかもね(笑)』

 日曜日、昼のメール
『こんばんは。何かあった? 体調悪いの?』

 日曜日、夕方のメール
『少し心配しています。僕のメールがウザがられてなきゃいいけど。何か特別な事情があるのではないかと余計な事を考えてしまう。僕は何の役にも立たないんだろうか』

 メールが届いていたのはわかっていたけど、読む気になれなかった。どう返信していいかわからなかったから。
 でも、今日の姿を見せてしまったからには、何も返信しないのはあまりに失礼だと思い、今夜は自分からメールしようと決めた。
 でも…… 何をどう書けばいいのだろう。そもそも、京極さんは私にとってどんな人なんだろう。
 それ以上を考えることができない。やっぱり、何も伝える言葉がない。そう思うと、もうメールする気がなくなってしまった。

 夜、二十一時過ぎに駒井クンから電話があった。あまりに待ちくたびれて、電話を受けたときに不機嫌な声だったかもしれない。
「お久しぶりです、元気でした?」
「はい」
(早く要件だけ伝えて…… お願いだから)
「園井さんのこと、聞かれてますよね。びっくりしました」
「お見舞い行かれるって、高島さんから聞いてました」
「ええ、病院のこと詳しく聞こうと思って千葉の同期に連絡入れたら、もう退院されたって言うんで、自宅まで直接行ってきました。僕、武蔵野の時に何度か泊めてもらってたので、ご家族にも会ったことありますし」
 そんな話は聞いたことがある。
「退院されたから良い方に向かわれてるんでしょ?」
「と思います。痩せられたかな、とは思いましたけど、雰囲気は昔の園井さんのままでした」
「良かった……」
 駒井クンに悟られないよう、ぐっと感情を堪えた。
「ホントです。奥さん、お父さんを亡くされたばかりで、園井さんまでが病気で倒れるなんて、ホントにお気の毒でした」
「…… そうでしたか」
 あの話も本当だったのだ。
「笑ってらっしゃいましたけどね。お祓いしとけば良かったって」
「……」
 サラサラした髪の、化粧っ気のない美人が、逆風に佇む姿を思い描いた。私には敵わない、そう思った。

「病人を抱えるって大変だなぁと思いました。病院で療養してもらった方が家族は楽なんじゃないかと思ってしまって」
「確かに……」
 病院なら、お見舞いにも行けたはず。
「奥さんが自宅で療養させるって言われたそうですよ。園井さんは病院の方が良かった、みたいな冗談言われてましたけど」
 遼ちゃんと奥さんのやり取りが目に浮かんで消えない。もう、イヤだ……

「それで、帰り際に園井さんから、お見舞いはお前限りにしてくれと言われて…… 武蔵野のみんなに伝えてくれと言われたもので、こうやって仕方なく連絡してます。市来も、あっ、今は春日ですけど、彼女も泣いて僕に文句言うんですけど、園井さんの希望と言うことで…… すいません」
「お元気そうなら、いいです」
 市来さんが泣くのはわかる。でも、私が泣くのはどう考えてもおかしい。そう思って我慢した。

「その代わり、復職されたら、みんなでお祝いさせてもらうって言っておきましたから。その日が来るのを祈りましょう」
「そうですね」
「そしたらまた、園井さんの腕を思い切り引っ張ってあげてください。デレデレになって喜びますから、アハハハ」
「…… そんな」
 やっぱり、みんなの記憶にも残ってる…… 恥ずかしい。でも、園井さんにとって、私が特別だと言われてるようで、嬉しかった。こんな時に不謹慎だと思いながらも、嬉しさがこみ上げてきた。
「そういうことなので、とりあえずのご報告でした」
「ありがとうございました」
「中澤さん……」
「はい?」
「大丈夫ですからね。園井さん、きっと治ります」
「…… はい」
 最後の言葉は、彼が彼自身にしっかりしろと励ます言葉のような気がした。

 遼ちゃんの姿を思い浮かべようとすると、いつか、夕暮れの海岸沿いをドライブした時の横顔ばかりが浮かんできた。寂しそうな横顔…… それと寂しそうに呟いた言葉……
 彼は何かを予感していたのかもしれないと思うと、あれから過ごした日々に、なぜもっと愛していることを素直に伝えなかったのか、悔やまれて悔やまれてならなかった。

 二十二時過ぎ、京極さんからのメールが変わりなく届いた。
『こんばんは。今日は中澤さんの顔が見られてホッとした』
 たったそれだけの短いメッセージだった。「明日、タリーズでね」という決まり文句もなかった。
 何か返信しなきゃいけないと思った。
『ご心配かけてます』
『かけられてます(笑)』
 珍しい返信にちょっとホッとした。だけど、どう続きを書いたものかわからず、そのまま返信できずにいた。すると、
『これどうぞ』
 という言葉とともに、タリーズコーヒーのテイクアウトカップの写真が送られてきた。
『こんな時間にタリーズですか?』
『HPから勝手に持ち出した』
 笑えた。

『窃盗犯ですね』
『じゃあこいつも』
 続けて、りんごのシブーストの写真が送られてきた。
『寝る前なのにぃ』
 笑いながら返信していた。
『これもおまけでどうだ!』
 さらに、T’s アフォガートの写真も届く。
『もう太るから止めてください!』
『それね、峰岸さんの前で言うと嫌味だからね(笑)』
 峰岸さんは、ぽっちゃりより、もうちょっと大きめだ。
『もう! 言いつけたりしないでくださいよ!』
『アハハハ、では貸しひとつということで』
『返せません。いっぱい借りてて』
『いいよ。寝かせておけば利子が増えるだけだから、ボクはいつまでも貸したままでいいよ』
 なんと返信していいかわからなくなった。言葉が見つからず、何も送れないまま、時間が過ぎる。

 このまま寝てしまったことにしよう、そう思った頃に京極さんからのメールが届いた。
『よければ毎晩タリーズメニューを送るから、朝の同盟は無理しなくていいからね。じゃあおやすみ』
 ますますなんと返信していいか言葉が見つからない。ただ、何かを送らないと否定したことになりそうでイヤだった。
『本当にありがとうございます。おやすみなさい』

 送信後、なんと味気ない文面だろうと思った。自分の身勝手さと冷酷さをこの時ほど恨めしく思ったことはない。




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