私をひとりにしないでね

「遼ちゃんの夢をよく見るよ。今もね、初めてあのマンションに行った日のこと夢見てた。
 そんなことなら早く言えよ〜、って遼ちゃん言ったよね。あの日のこと思い出してた。
 こんな遠回りしなくて良かったのに、って言いたそうだったよ、遼ちゃん。
 あの時、凄く迷ったんだからね‼ なんだか私から誘ってるみたいで、イヤらしいかな〜とか。悩むんだから、女の子は! 知ってた?

 なのにさ、部屋に入ると、遼ちゃんずーっと海ばっか見てたよね。綺麗だな〜、くらいしか言わなかったよ、あの時。私ね、喜んでくれてると思って最初は嬉しかったんだけど、遼ちゃん、いつまでも海ばっか見てるから、なんだかヤキモチ焼けてきたんだから! ホントだよ。

 あの時の海は黄金色に染まってキレイだったね。あんなにキレイな日はなかったかも。あの頃はまだ遼ちゃんのこと遼平さんとも呼べなくて、園井さん、カッコイイなぁとか思ったよ。遼ちゃんの黒のハイネック姿が忘れられない。遼ちゃん、いっつもハイネックだもんね。お誕生日にはまたハイネックの何かプレゼントしよっかなぁ〜

 お誕生日のこと、忘れずにいてくれてありがとう。メール、嬉しかった。遼ちゃんからもらったメールで一番嬉しかった。
 いや…… 一番はやっぱり転勤していったあとにもらったメールかな。ウソつきました、アハハ。
 あれだけタクシーの中で絶対にメールしてね、って頼んだのに、三日も来なかったよねっ‼ 普通はその夜か、遅くても翌朝一番にするものなんじゃないですか?
 しかもさ、送別会を開いて貰ってありがとうございました、だって……。バカじゃん、この人! とか思ったよ。
 白状しろ、あれ、全員に同じ内容で送ったでしょ! わかってるからね!

 でも、それでも嬉しくて、速攻で返信した。覚えてる?」
「会えなくてさびしい…… です、だろ……」
「あ〜〜〜、私が喋るの! 邪魔しないで!」

 聞いてくれているのが、ただただ嬉しかった。

「でも、あれからは毎日メールくれたよね。で、来週は新宿で泊りがけの出張だぁ〜、とかさ、もう誘ってるとしか考えられないよ。ホント、遼ちゃんエッチだから」
「ア…… ハハ……」
「だから、仕方なく会いに行ってあげたらさ、いきなりだもん。あなた研修で来てるんでしょ? って言いたかったわ。
 遼ちゃんったら、研修でこんなホテルに泊まれるか、とか言っちゃってさ、その手口で何人も騙したでしょ⁉」
「引っか…… かったのはひとり…… だけね…」
「あ〜〜、こんな美人を騙して〜〜、人事に言うよ!

 でも楽しかったぁ〜。遼ちゃんといると楽しかった。いつも楽しかった。それでさ、私が池袋に勤務先変更になった時、お祝いしてくれたよね。これで過去の職歴が活かせるから頑張れって言ってくれた。あの時は本当に嬉しかった。遼ちゃんは他の人と違って、私を派遣だと思わないのかな〜って思ったよ」
「思わない…… だろ…… 普通」
「どうだろうね、でも他の人は関係ないから。遼ちゃんがちゃんと心配してくれたから嬉しかった。ホントだよ。で、造幣局の裏まで迎えに来てくれたでしょ、覚えてる? このあいだ、偶然通りかかって、凄く懐かしかったぁ〜。

 それからは毎週あのマンションに通ったから、なんだかもうそれが当たり前になり過ぎて。
 私ね、毎週単身赴任先から週末に家に帰る人の気持ちがわかる気がしてる。ようやく一週間が終わる、あ〜、疲れた、早く帰ってビール飲も! みたいな? アハハハ。

 でも、ちょっと遠かったね。遠いと思わなかった? 私ね、いつも思ってたんだよ、都内に、どこか幕張と池袋の中間あたりに、このマンションがあればなぁとか、アハハ、パパも都心にワンルームでも買っておいてくれれば良かったのにとかさ」
「ハハハ…… またパパって…… 言ってる」
「あ〜〜、私が喋るの! パパでいいの!
 この間ね、ママと水沢うどんに行ったよ。中学生の頃、パパと三人で行ったこと思い出して懐かしかったぁ。私ね、いつもパパの左腕を掴んで歩いてた。遼ちゃんはパパなんだからね、私の…… 」
 そう言うと涙が出てきた。この人まで失うなんて考えたくもない、そんなはずない、そう強く願った。

「鴨川の海岸…… 歩きたい…… な」
「うん。歩こうね。腕を組んでね。私ね、車の運転練習しよっかな。ママが、海ほたる使えば鴨川もすぐだって言ってたし。遼ちゃんを幕張で拾ってあげれば楽チンでしょ?」
「…… アハ、地理むちゃ……くちゃ」
「あれ? 違うのか? まあいいや、その時までに調べとく。
 あ〜〜、行きたいなぁ。しばらく行ってないから禁断症状出るよ。休みの日に自分の部屋で目覚めると、なんでここにいるんだ? って気になる。
 朝起きて、コーヒー豆挽いて、部屋がいい香りに充たされるのが懐かしい。
 今度行ったら、日曜日の朝早くじゃなくて、月曜日の朝早くに帰ろうね。たまにはいいでしょ? ダメ?」
「車だろ? ……今度は 」
「そうだった! 私が車で送り迎えするんだ!
 遼ちゃんは助手席で寝てなさい。大丈夫、きっと私、運転上手いと思うから」
「身体に…… 悪そう…… 」
「あ〜〜、全然信用してない! 遼ちゃん、私ね、何でも出来るんだよ、運転だけじゃなく、料理も、何もかも! 遼ちゃんがいいよいいよって言うから、甘えてただけだから…… 」
 そうなのだ。私は遼ちゃんに甘えている。会うのは週末だけだけど、その日以外も、私の生活のすべては彼の存在に甘えて成り立っている。
 その幸せを失うかもしれない……
 その考えが瞬間でも頭を過ると、もう立っていられないほどの衝撃を受けてしまう。

「遼ちゃん…… 私をひとりにしないでね」

「ああ……」

 彼の困った横顔が一瞬浮かんだ……




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