詩音と桃、杏

「モモちゃん! 今、学校の帰り?」
 小学校から中学校までずっと仲良しだった同級生を見上げ、詩音の顔はパッと明るく弾けた。ふたりが出会うのはしばらくぶりだ。

「うん。アンズも一緒だよ…… ほら、来た来た。アンズ、シオンちゃんがいた!」
 同じ制服の子が小走りに駅の階段を駆け下りてくる。杏も同級生だが彼女は詩音よりひと回り小さい。ただし見るからに敏捷そうで、身体の半分はあるスポーツバッグを揺らしやってきた。

「シオンちゃん、久しぶり~‼ 相変わらずサラッとファッショナブルだねぇ! シオンちゃんが着ると全部お嬢様モードになるから不思議だよ」
 杏は真っ黒な顔から真っ白な歯をのぞかせ、詩音の頭のてっぺんからつま先まで何往復も視線を移動させた。

「私たちこれからお好み焼き食べに行くんだけどさ、シオン、付き合うよね? いいでしょ?」
 詩音はちょっと躊躇ためらい顔になったが、すぐに満面の笑みで頷いた。その返事を待つまでもなく、杏が彼女の腕に腕を絡ませ、逃がさないぞと言わんばかりに引っ張り始める。大柄な桃はふたりの後方を護衛するように歩き出した。三人のそんな姿は数年前まで地元商店街で当たり前に見られたのだが、ターミナル駅周辺では、すれ違う少年たちが振り返る程度に異彩を放った。

 杏の案内で三人はアーケード街を百貨店とは反対方向に進み、二つ目の路地を右折して三軒目のお好み焼き屋の暖簾をくぐった。桃や杏によるとそこは昔からある店で学校帰りに入り浸っているらしいが、詩音は初めての店だった。

「豚玉のコナモリモリ。アンズは?」
「イカ玉のぉ〜、コナモリでいいや」
 常連ふたりの注文が理解できない詩音はメニューに目を凝らすが、コナモリ、なんてどこにもない。
「あ〜、ここはね、学生だけ粉の量を増やしてくれるの。部活帰りの子ばっかだから」
 確かに、乱雑に散らばったマンガ本に混じって、古いスポーツマガジンがいくつも転がっている。
「私は…… 普通の豚玉で」
 詩音はそれで妥当、という顔でふたりが目を細めて頷いた。

「珍しいね、この時間に会うなんて。どこかに出かけてた?」
 久しぶりの詩音が矢継ぎ早に質問されるのは仕方がない。
「うん。木曜日はおじいちゃま、あっ、祖父の付き添い」
「おじいちゃまねぇ。うちのジジイとは大違いだ」
 杏が大声で笑う。
「アンズんちのじいちゃんは今でもよく見かける。相変わらず汗びっしょりで夜中に散歩してるでしょ?」
 桃が笑う。詩音はそうだったかなと記憶を辿るが思い出せない。
「シオンちのおじいちゃまは見たことないなぁ。あんたある?」
「ないよ。運動会とかは来てただろうけど、よそんちのジイさんに興味ないしね」
「そりゃそうだ」
 ひとしきり笑ってじいさん話に区切りがつくと、今度はその後会ってない同級生の話で盛り上がる。あいつとあいつがどうなったとか、最近見かけないあいつは生意気だ、とか、欠席裁判よろしく大抵はこき下ろされた。

「そういや、最近ルカに会った?」
「イセっち? 全然会ってない」
 話題が自然にこの場にいない同級生、伊勢原 流香ルカのことに及んだ。桃と杏にとっては幼稚園に通う頃からの幼馴染のはずだが、他の同級生を面白おかしく茶化す話し方から、トーンが微妙に変わった。
「あの子だけ学校が反対方向だからね。なかなか会わないんだよ。予備校は同じはずなんだけど、コースが違うしさ。全然会わない」
「荒れてるらしいよ、ルカ」
 杏がお好み焼きの端を丁寧に整えながら、詩音と目を合わさずにポツリと呟いた。
「ルカんちのママいるでしょ? ルカが最近反抗期で困る、って溢してたらしい」
 杏の家は地元商店街の古い洋品店で、なにかと噂話が飛び込んでくるようだった。
「彼氏にフラれたらしいしさ」
 桃はやや心配そうな顔でそう付け足した。
「あの子ってさ、昔っからちょっと人と馴染まないところあるじゃん。お高いってわけでもないけど、つるまない感じ? だからさ、そういう話があっても声が掛けにくいんだよね」
 それはあると詩音も思った。おそらく、中学時代に一番仲が良かったのは自分だと思うが、彼女から悩み事や愚痴を聞かされたことが一度もない。連絡だって、こちらからしないと相手からはない。かれこれもう一年以上も話していないことに詩音は今ごろになって気がついた。

「でさ、最近は雰囲気が全然変わってるらしいよ。なんか、ヤバいお店で働いてる子みたいだって」
「誰が見たのさ」
「えっ…… お客さんが言ってたんじゃないの、うちの母親が言ってたから」
 杏の言葉に、桃は、ちっ、っと舌打ちを返した。そうしたい気持ちは詩音にもわからなくはなかった。その反応に焦ったのか、杏が慌てて具体的な情報を加えた。
「だって、髪の毛バッサリ切って、バッチリマニキュア塗ってたってよ」
 するとなぜか三人揃って自分の指先を無言で眺め始める。そのうち太くてごつい手をした桃の指に関心が集まった。

「モモちゃんの手、また大きくなった?」
「そりゃそうだよ。だってモモはリディックスで練習してんだよ」
「リディックス?」
 そのワードが何を指す言葉なのか理解できていない詩音に、桃と杏はあからさまにダメでしょ、って呆れ顔で彼女をじろりとめつけた。
「バレーボールのプロだよ、Vリーグ!」
 杏が強調したが、詩音にはまるで心当たりがない。
「マイナーだなぁ、バレーボール。こんなことならバスケにしときゃよかった」
 桃もちょっと残念そうな顔になっている。詩音はどうフォローしていいかわからず、それでもきっとそれは大したことなんだろうとアタリを付け、桃ちゃん凄い! と持ち上げた。
「あんたねぇ、そういう人当たり抜群なところは変わんないよ」
 そう言って桃が大きく破顔したから、詩音はホッとした。

「ルカもさ、シオンみたく上手く話し合わせりゃいいのにね」
 そう言われて詩音は内心ムッとしたが顔には出さない。
「てゆーかさ、おばさんみたく普通に愛想良くすりゃいいんだよ。別にさ、ルカって美人だし、愛想よきゃ男だって近寄ってくるよね」
 杏の発言にふたりとも深く頷いた。詩音の記憶の中で流香の母親は上手く像を結ばなかったが、華やかな美人顔だったような気はする。運動会の親子リレーで爽やかな汗を流してそうな人だったはずだ。
「そのおばさんと仲が悪いらしいから問題なんだよ」
 詩音は同級生の、しかも本当に仲の良かった友人のことをまるで知らない自分に気付き複雑な気分になった。

「おばさんがね……」
 杏が声のトーンを落として身を乗り出した。桃と詩音もその態勢に合わせるしかない。三人が鉄板の上で顔を寄せた。

「男、できてるって噂だよ」
「え~~~~! だって、お父さんとは別居してるだけでしょ!」
「しっ!」
 桃が真剣な顔で詩音を窘めた。桃と杏はいつもつるんでいるが、こういうところは微妙にスタンスが異なる。桃は大人だった。
「アンズんちのおばさんもよそんちの噂話が好きだからねぇ。アンズ、気を付けないと、あんた友達失くすよ」
「…… ごめん」
 杏にしてみれば桃という後ろ盾は欠かせないのだろう。桃の言葉に従って口をつぐんだ。

 詩音は大人の世界をチラッと垣間見たような気がしていた。ついさっきまで朧気だった流香の母親が、なぜか中年の艶っぽい女優となって頭の中に現れた。

「確かにおばさんは綺麗だしね」
「おばさんが勤め始めた店、繁盛してる、って父親が言ってた」
「なんて名前だっけ…… 確か、花の名前だよね」
「『桔梗』……」
「それそれ!」
「昔の市役所の裏あたりらしいよ。よくは知らないけど。百貨店あるでしょ? 十文字屋。あの裏路地をまっすぐ行ったところのはずだよ。おばさんがあっちに向かうところを何度か見かけたことあるから」
「よく知ってんじゃん」
「いや、だから、うちの父親が……」

 その話を聞いて詩音は急に落ち着かなくなった。妙な符合に胸騒ぎを覚えたのだ。
「花屋さんがある筋のこと?」
「そうそう。広い空き地の手前に邪魔な花屋あるでしょ? あの通りを国道突っ切って行ったところ。あの花屋も早く立ち退きすればいいのにさ。あれがあるから再開発が止まってるんだって。知ってた?」
 杏の両親は地元の商工会で顔役らしく、それこそこういう情報も早かったのだ。
「恐るべし磯村衣料品店。近所のことでアンズの耳に入ってないことはなさそうだね」
「ホント…… 怖い」
 詩音が本当に怖い、というふうに顔を引き攣らせたので、杏は真っ黒な顔を真っ赤にして首を横に振った。大笑いする桃、赤い顔の杏、そして青い顔の詩音……

 お店のマスターがオレンジジュースのお代わりをご馳走してくれて、二人はさらに上機嫌でしばらく級友たちの噂話を続けたが、ひとり詩音だけは胸の中にわだかまりが残ったようだった。





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